最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

2022-01-01から1年間の記事一覧

私も成長に執着したい

説教の時代は終わっている。 もし模範とすべきものがあるとすれば、それは肉体を通した実践でしかない。 そこには苦しみに耐えて進む相がある。 その相こそ共感に足る資格があるといえる。 心でどう思っているかということは実は論点でも何でもない。 心と体…

本当の目標は何だろう

日曜日、予定通りハーフマラソンに参加しました。 いやはや、足つりました(笑。 4キロくらいでハムストリングスに違和感があり、これはまずいなと思いながらイーブンペースで進んでいたところ、14キロ地点でピキーンと(笑。 コースは基本フラットなんだけ…

ハーフマラソンに向けて

来週日曜日、ハーフマラソンを走る。 日曜日に16キロほど走り足をならしておいたので完走を目標にしてよいだろう。 私はわりと足がつりやすい方なので本番前の長距離走は予防接種のようなもので欠かせない。 疲労がたまってきたところに上り坂で力むとくるこ…

友達というものについて

友達とは何だろうか。 この問いについて、私は自分が友達だと感じた人と答える。 相手が自分をどう思っているか。 これは関係ないように感じている。 もし誰かが「あいつはおまえのこと嫌いだってよ」と言ったとしても、自分の人生を振り返り彼(彼女)の存…

確かに思いが通じる時はある

子供が急きょ駅伝教室に通うことになり、私も送り迎えで土日がなくなってしまった(笑。 先週やっとスイミングスクールでクロールが合格になり(5か月かかった)、その解放感も束の間、クラスメイトからの誘いがあったのだった。 うちの子は3年生のマラソン…

大学進学が自殺行為になる時代

最近、漁業や建設専門の高校生がテレビに映っているのをよくみる。 ありかもなと思うのだ。 その昔、夏目漱石くらいの時代の専門家の知識はおそらく今の中学3年生レベルだろう。 たいしたことない。 しかし、彼らには知識の数は少なくとも学理上の信念に基づ…

霊性を鍛えるには節制しかない

都合のいい結果が出れば、それまでの過程が正当化されるわけではない。 ここ20年、多くの日本人は本当にくだらない結果主義というものに翻弄されてしまったと思う。 既成事実が出るとぐうの音も出ないような体質になってしまった。 人間は完ぺきではない。 …

ストレッチという選択肢がある

最近はストレッチをよくするようになった。 体が固くなるという感覚が少し分かるようになってきたからだ。 筋肉を伸ばした時に右足と左足で感覚が違うこともある。 使い方が影響しているのだろう。 なるほど、加齢に伴う老化というものは確かにありそうだ。 …

苦手意識は穢れである

今日は子供とジョギングをした。 一緒に走った距離は2キロ。 うちの子はあまり運動が得意ではないと思っているらしく苦手意識から走るということ自体にフォーカスできていない。 フォーカスしていくためにすることはひとつしかない。 それは実際に走って、走…

ハロウィンは危険な祭りである

ハロウィンは、言ってみればこっくりさんと同じような作用がある。 ハロウィンという祭りの淵源はどうであれ、実際は悪魔祓いなどではなく魔を呼び寄せている。 よくよくフラットに観察してみて欲しい。 CMとはいえテレビのスピーカーから悪魔のような笑い声…

子供に託す性エネルギー昇華の奥義

今日小学5年生の子供がテストでケアレスミスをしてきたので、その原因について語り合った。 片付けがいかにケアレスミス防止に役に立つかということを説明した。 何をどこにしまうか、それは本で言えば章立てのようなものだ。 気分のままに放り出して適当に…

空、無相、無願、これが同時にある祈り

世界には暗雲が垂れ込めている。 これが現状だろう。 それを否定する必要はない。 霊的な清々しさはもはや乏しいのだ。 しかし、そのうちにあってそれに縛られずにゆく道があるはずなのだ。 このブログではその道を歩む。 水と命を支える食事さえあれば活力…

☆酒を飲まない男の時代がきている

www.youtube.com ナンパ云々はどうでもよい。 このシーンは酒を飲まない男の根本的なイメージに役立つ。 女性を口説く時に酒を飲もうとするのはもはや外道だ。 もちろん酒を飲まないだけでいい男になれるわけではない。 己の生き方に納得できるようになって…

教団の犬にはなるな

いわゆる宗教にはまってしまっている者の特徴がある。 それは、教えというものを土台にしたうえで何をするかという観点がない。 たとえば、教団の行事に参加しているだけで満足してしまっている者があまりにも多いようにみえるのだ。 年配者の場合は悲惨であ…

闇にとどまる勇気

手相は確かに変わる。 今の私の手相には仏眼相、神秘十字、聖職紋が現れてきている(笑。 しかし、このような相に頼ってはいけない。 一喜一憂してはいけない。 要するに、真に大切なこととと手相とは関りはない。 真に大切なこととは定だ。 定なくして道は…

霊性と三昧の境

霊性優位にいかざるを得ない時代と感じる。 肉体を必死になって鍛えることも大切であるが、それは突き詰めていくと、肉体に未練を残さないためである。 魂を取らざるを得ないときは必ずくる。 霊的な向上と共に人との関り方も変化する。 慢心はいけないとい…

霊的優位に備えていく

子供がテストで100点をとってきてくれたり市のコンクールで賞をもらってきてくれたり、突き刺さっている疲れが癒される瞬間だ。 子供に親が救われる。 もっとがんばれるぞという気持ちにもなれる。 ありがたいと感じやすい。 ともあれ、人間は隙だらけである…

最初の一手

私は起床後すぐに仏壇にお水を捧げることを修行にしている。 これはトイレに行く前に必ず行う。 これだけのことであるが、この紙一重の差が日課と修行の差であろう。 そして、読経する。 寝起きの散らかった情念の奥に叩き込むように。 それは一片であっても…

鈍しない道

順風満帆、こういう流れは続かないと思っていた方がいい。 日に何度か翻弄されるような起こると、そう覚悟していた方がいい。 眠れない日もある。 何度も夜中に目が覚めてしまう。 しかし、そんな夜ほど次の日にキツイ予定が入っていたりするものだ。 先行き…

国葬と山上氏の両立を

安倍晋三元首相は、何かの動画の中で「私は選挙で勝つためなら何でもする」というような趣旨の発言を確かにしていた。 そのひとつが統一教会の利用ということであったのだと今となって私の中で繋がるのである。 安倍首相が統一教会の教義に関心があったと思…

性エネルギーを美しい行動に昇華する

他者のしたことしなかったを評価しない。 それを認識したとしても評価をスルーする。 これには修練を要するが、獲得せねば命を削られるだろう。 カッとなって義憤のまま特攻してしまうことは次世代を見殺しにする結果になる。 理不尽をあえて浴びていく。 そ…

性エネルギーを脳に蓄積せよ

性エネルギーの無駄遣いは本当にやめるべき時代に入った。 これまでの時代を振り返れば、明らかにヘルスケアの注目度が増してきている。 すでにタバコは多くの人がやめることになった。 そして、次に来るのは酒であろう。 これも酒を飲まないネオホストとい…

混然一体となっていく

今年の真夏のランニングは自分の限界を超えたといってよいと思っている。 体の出すサインを見極めることができたので、休息をとることもトレーニングのうちとして伸びやかに楽しんでいきたい。 やり過ぎると確かに血尿がでる(笑。 全力と無理とは違うのであ…

霊的な絆が定を支える

感情の濁流の中で忍辱行としての定である。 澄ました顔で涼しげにいくことのほうが稀であると思う。 定を目指すとき、やはり誰かのために祈れる方が力が出る。 過去に書いたが、私は葛西りまちゃんと船戸結愛ちゃんを毎日供養している。 事件を覚えているだ…

一歩を踏み出す

遂に私も庭木の剪定の真似事をしてみた(笑。 伸びて目立つ新芽をハサミで切っていっただけであるけれども、人の意志が入った程度には形になった。 これでいい。 結局、庭師がやるように綺麗な長方形に仕上げるには時間がない。 その気になった時にはプロに…

貫いた先に極楽浄土がある

貫いてきたところが己自身の集中力の核心になる。 経験上、もはやこれしかない。 貫こうとする意志に神々のご加護があるわけだが、神々が己自身の集中力の核心になることはないように感じている。 神々には感謝こそすれ頼みごとをすべき対象ではない。 山上…

仕事の顔を盛ってはいけない時代

仕事の時は真面目という人間がちょくちょくいる。 そういうスタイルに対して世間は比較的肯定的だったと思う。 仕事の時くらいはしっかりしろとよく言われてきた。 逆に、仕事さえきちんとやっていれば、風俗通いですら許されていたような風潮があった。 し…

休日の過ごし方について

休日の過ごし方としては、掃除片付けに尽きる。 やり方であるけれども、自分に近い所からやる方がよいと思う。 自分の部屋があるならば自分の部屋からやる。 草取りでも同じである。 自分の家の周辺から外に向けてやっていくのがいい。 掃除というのは一種の…

限界突破こそが智慧に形を与える

肉体的限界というものは個人差がある。 朝方、大都会の路地では浮浪者がよく歩いているが、あの体力はどこからやってくるのだろうかと思うことがある。 ある意味においては彼らは強者である。 普通の人ならば精神的ストレスもあいまってすぐに死んでしまうの…

己の器を満たすだけの努力

他の先を越そうという気持ちはもうないといってもいいかもしれない。 歳を重ねると自分の身丈というものが分かってくる。 小林秀雄がある動画の中で「自分は42歳の厄年を超えた人間にしか本当のことを語らない」と言っていたが、それが最近よく分かる。 自分…