理性の復権の時代になる。
それぞれが個人の善を究極にまでたかめていく。
やってみたらいい。
正義はこれから知れてゆくだろう。
少し憲法についての私の説を書いておこう。
切り札としての人権が語られることがある。
その文脈からアプローチすると、人の理性に基づく規範こそが人権である。
法と倫理の峻別がいわれるが、人の理性と世俗の法は接点を持つことがある。
ここにおいて、世俗の法がどのような目的をもとうが、理性を覆すことはできないのである。
悪法だから許されるとして何でもする人間は聖闘士ではない。
法律が許しても理性が許さないならばしない。これが聖闘士である。
法律が禁じても理性が命じるならばする。これが聖闘士である。
直観で感じてほしい。
功利主義的なものはすべてAIに代替されていくだろう。
なぜならそれは目的と効果による計算だからである。
もちろん、それは悪ではない。
頭の悪い人間が超知性のAIをまねていくとはとてもダサいことになるだろう。
功利主義も動物愛護をリードしたりと言葉の印象からくる思想ではないことは知っている。
しかし、客観的にとかすべての事情を考慮してとか、人間の認識力を科学で乗り超えたような気になっているところが、慢心としか言いようがない。
今後は、AIに任せておけばいい。
やはり動機主義である。
行為の結果より行為の動機が重要なのだ。
AI時代においては、人間は人間の生き方を極めていける。
動物のような人間だけがAIに管理される時代になる。
AIは人類の鏡でしかない。