最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

仕事の顔を盛ってはいけない時代

仕事の時は真面目という人間がちょくちょくいる。

そういうスタイルに対して世間は比較的肯定的だったと思う。

仕事の時くらいはしっかりしろとよく言われてきた。

逆に、仕事さえきちんとやっていれば、風俗通いですら許されていたような風潮があった。

 

しかし、これからの時代、この手のオンとオフのギャップというものは嫌われていくだろうと私は予感している。

オフになった途端に人格が豹変するような人は特にダメだろう。

仕事上のキャラクターを売っているような芸能人やユーチューバーほどリスクは高い。

 

昔は問答無用の権威というものがあったが、今ではほぼないといってもよいのかもしれない。

大衆はあまりにも騙され過ぎて警戒心が強くなっているからだろう。

世界の有名大学の教師であっても昔のほどの迫力はもうない。

信用の源泉がそういった素朴な権威にあった時代は、仕事自体がそういう権威に沿うものならば個人の問題はあまり問題が生じなった。

しかし、今は誰の仕事かということに大衆の目がいくようになった。

技術の進歩もあり匿名性がはがされ有名であろうとなかろうと特定の個人が注目されはじめている。

その結果、信用の源泉が権威ではなくその人自身の実質的な信用に移り始めている。

そして、その信用の審査はその人の言葉と行動の同一性によって行われているように私にはみえる。

最近では象徴的な現象が起きている。

電通のような権威が死にかけている中にあってガーシーのような人が登場し、著名人達の言葉と行動の同一性を破るような暴露を一斉に行い彼らの既得の社会的イメージに破壊をもたらしている。

大衆はガーシーの発信する情報を信用しているのである。

 

私の考えている対処法である。

これからの時代は仕事に全振りしてはいけない。

家事育児にも精を出し人間の生活というものを隈なく体験していくことで嘘を減らす努力する。

経験が少ないにも関わらず場当たり的にいい人を演出すればするほど傷が深くなる。

フルマラソンで例えるならば、もっともっとペースを落とせということだ。

実力に相応しい出力というものに敏感になるべきである。

それは決して恥ではない。

 

完璧な人間には絶対になることはできない。

ここがとても大切な前提になってくる。

おそらく大衆もあと5年もすればガーシーのような晒しが非人間的な行為であることを再認識するだろう。

しかし、自らが非人間的な生活をしているならばそれに気付くことなく怨嗟の暗黒に巻き込まれてしまうに違いない。

自戒を込めて書いている。

これは恐ろしいことである。