最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

善とは独身の確立のことである

善に向かうならば、何事も自分自身でやっていくことである。

結婚していようがいまいが、独身を確立していくこと。

これが他に見返りを求めずに済む行き方であると私は思っている。

なぜ腹が立つのか。なぜ怒るのか。

それは他に求めるものがあるからだろう。

これだけやったのにとかなぜできないのかという思いは危険なのだ。

非常に危険である。

ガソリンに火を近付けるようなものだ。

 

意識の深奥に溜まってしまっているヘドロのようなものを吐き出して魂をコツコツ磨いていく。

今日一日にどれだけ善を積めたか。

自らに問うべきは本来そこだけである。

磨かれた魂をもって生きる。

そうすれいばそこには肯定も否定もないただ生き生きとした境地がある。

 

朝起きて夜寝るまでに間になすべきことはたくさんある。

自らがなしうるすべてを出し切っていくことが独身の確立である。

仕事はもちろん大切であるが、掃除、料理といった家事は宝の山であろう。

真心を尽くせばそのまま利他行となる。

 

自らを振り返れば、心が燃えさかっているような人がいることは想像に難くないはずである。

多くの人が自我の網に絡まり他を妬み他責しながら生きている。

他から思いかけず迷惑をかけられることがあっても、そうした事情を先に思い浮かべることが大切である。

可哀そうだなという思いをもっていくことが大切だ。

そして、自分の見返り、自分は今独身の確立に向けた道にあることを絶対に忘れないようにする。これが祈りというものだ。

あとは過ぎ去るのを自然に待つのみである。

心のヘドロとしてはいけない。

 

心身のエネルギーはあらためて尊いと思う。

このエネルギーがなければ人は魂を磨くことはできないだろう。

病に伏せたとしても道はあるが、健康ならばそれ以上の宝はない。