最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

鈍しない道

順風満帆、こういう流れは続かないと思っていた方がいい。

日に何度か翻弄されるような起こると、そう覚悟していた方がいい。

眠れない日もある。

何度も夜中に目が覚めてしまう。

しかし、そんな夜ほど次の日にキツイ予定が入っていたりするものだ。

先行きの見えない課題が常に重くのしかかっている。

それが普通である。

心も体もベストになることを待っていてはいけない。

ベストがくる保障などどこにもないのだ。

今ある自分で挑んでいく以外ない。

 

とにかく心と体を御して進むしかない。

 

細かなチャンスを生かす。

私はもういつからか20分をひとつの仕事の単位にしている。

タニタキッチンタイマーをデスクにおいて使っている。

20分でも前進できればそこに感謝していくというスタイルである。

一日の勉強時間が20分。

そんな日は結構あるが、もう落胆しない。

むしろよしと思うようになった。

心境はいつも「完璧より前進」である。

私の愛する映画イコライザー、デンゼルワシントン演じるロバートマッコールの台詞である。

 

自分には乗り越えらえる。

この確信を私は読経修行から得ている。

朝夕の読経修行は自己肯定感を恒常的に高めてくれている。

なるほど、これが功徳というものかという感謝が常にある。

そして、呼吸を整えられるときは性エネルギーを昇華させていきやすい。

痛めた箇所を癒やせる機会があることはもはや当たり前ではない。

ありがたいと思う。

 

癒やしのあとに反省することには傾向があるようだ。

人に冷たくしてしまったことはやはり失敗である。

それは相手に嫌われることを恐れるという線ではない。

自分のあり方として間違えたという線である。

苦しくても定を保つこと。

心身の痛みの先に出ていかねばいけない時があると霊性が強く要求する。

なるほど、言葉は常に慎んでおくことがよい。