最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

最初の一手

私は起床後すぐに仏壇にお水を捧げることを修行にしている。

これはトイレに行く前に必ず行う。

これだけのことであるが、この紙一重の差が日課と修行の差であろう。

 

そして、読経する。

寝起きの散らかった情念の奥に叩き込むように。

それは一片であってもよい。

読経とはすなわち法を聴くということだ。

聴法の因縁勢力に自我を重ねていく。

一日で成ることではない。

1000日?

まだまだであろう。

 

やることはある。

しかし、何をしたらよいのか分からなくなる日はあるだろう。

そういう時は、考えずに掃除を行うようにしている。

掃除機をかけるときは、カーテンから天井にも神経を使う。

すこししゃがんでみると思わぬところに埃がたまっている。

クイックルワイパーは気が利いている。

玄関をはくならば、シューズも洗ってしまう。

革靴はクリームで仕上げておく。

掃除機が及ばない場所、たとえば窓のサッシなどはホースを伸ばして洗い流すつもりでその気になってしまった方がはやく綺麗にできる。

布団を先に干しておけば掃除が終わったころに取り入れることができる。

シーツやカバーは洗濯だ。

 

掃除が終わるころには少し汗ばんで軽い運動をしたような気分にもなる。

心も深いところから整って先に進みやすくなる。

書斎に戻れば課題に集中できるようになっているはずである。

 

身の回りを清潔に保つこと以上の結界は存在しない。

言葉による呪術は脆く自らに戻って来る性質のものであろう。

意識の力みはか弱い。

具体的に体を使って身の回りを整えていく。

これは大気からも力を得ることに繋がる。

大気から得た力は他者にも波及する。

邪気を排する理由はそこにある。