最近、漁業や建設専門の高校生がテレビに映っているのをよくみる。
ありかもなと思うのだ。
その昔、夏目漱石くらいの時代の専門家の知識はおそらく今の中学3年生レベルだろう。
たいしたことない。
しかし、彼らには知識の数は少なくとも学理上の信念に基づいたいわば極太で横断的な知性に大迫力があったのだ。
庶民は無学で学問を信頼しておりいい時代だったはずである。
今はどうだろうか。
あまりにも学問が高度化されて過ぎてしまい分野間の断絶すら生じているかのようにみえる有様である。
蓄積された業績の上に髪の毛を生やす程度ですら難しいはずである。
話を戻す。
言いたいことは、文系の学歴問題についてである。
大学4年程度で何ができるのか?ということだ。
普通の能力では基礎の基に届いたくらいで卒業であろう。
それになんの意味があるのだろうかと今更ながらにふと思ってしまうのだ。
学部で学んだレベルでは何者にもなれず、一般的な教養の獲得も見込めない時代においてわざわざ高い学費を払って文系に進む意味はあるだろうか。
すでに漁業や建設専門で3年間がんばった学生に対して胸を張れるようなものは残るだろうか。
やや疑問が残る時代になりつつある。
終身雇用が完全崩れ、産業構造が劇的に変貌しつつあり、さらに景気の行方が全くみえない暗黒の時代である。
漁業や建設専門でやってきた学生はそのままその分野の仕事についてさらに経験を積んでいく。
これはキャリア形成として圧倒的な差になっていくに違いないのだ。
しかも漁業や建設の分野はこれからの時代においてこそ非常に手堅いだろう。
明らかに有利である。
おそらく結婚もしやすい。
ただ、文系の価値がないとは言わない。
文系の価値は人の身体に即すならば五感のようなものだからだ。
また、文系の価値が道具を道具たらしめる面があることは否定できないだろう。
実務の強みを生かすのが文系の知識であったりすることは間違いない。
ではどうすればその勉強が出来るのか。
10年くらいかけて働きながら学べばいいという結論に至るのだ。
本だけでは少し物足りないならば、率直に言って放送大学でよいのではないだろうか。
30歳くらいで卒業。
その時には実務の第一線の技術者にもなっているだろう。
真面目に仕事をこなしているという状況下ならば、教養を得た証明としても十分ではないだろうか。
まさに理想的である。