多忙を極める3月である。
PTA会長として子どもの卒業式で祝辞を読まねばいけない。
この役目がけっこう重くのしかかっていた。
2週間ほど考えて1300字程度の文章を作ったのであるが、大変だった。
独断的にならずに気持ちを込めるという方向は案外難しい。
明後日が本番。
昨日は床屋に行ったりと細々したことやった。
礼服やネクタイも新調するなど費用もかかっている。
わが子が関わるとなると手を抜けなくなる。
これは半分くらいは煩悩であろう。
性エネルギー昇華の実践の効用として感情による消耗に強くなることを発見する。
繊細な人ほど性エネルギーは防御となるはずである。
性エネルギーはそれを具体的な目標と直結せねば意味がないが、それに付随する様々な障害に対する免疫ともなる。
栄養と運動と休息というリズムのなかで性エネルギーをみなぎらせるわけであるが、瞑想により偏桃体の過活動を抑えつつ、性エネルギーのうちがわに意識を入れることにより怒り等の感情から離れそれによる消耗をかなり減らすことが可能になる。
禁欲は意味がないという人が増えているのは、これはこの破滅の時代のためだ。
そもそも禁欲という表現が極めて表面的である。
本旨はそうではない。
むしろ希望の実現にある。
健康に悪いだのガンになるだの、全方位的な老病死の宿命を知らぬものたちの戯言にすぎない。
肉体は必ず滅びる。
そして肉体に拠った意識も必ず滅びる。
力は一点に集中させて希望を実現させるためにある。
この希望に何を込めていくかは品性だ。
しかし、この実現を多く体験しなければ、おそらく悟りへ向かうことはできない。
ここには信じる力という現代社会によって弱められた要素を強化するという実践が伴うからだ。
やれる!と何時間信じていられるか。
普通は10分ももたない。
思考というものは自ら止まることはできない。
5感に訴えてあらゆる隙をついてくる。
脳も臓器のひとつとしり魂を中心にすることが大切だ。
魂を信じる力を鍛えていくこと修行ともいえるだろう。
日々の読経修行や不飲酒戒をはじめとした五戒も、この鍛錬の妨げになるから禁止なのだ。