最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

究極の疲労対策

最近のジョグは7キロから10キロのレンジでやっている。 幸せだ。 1月からリスタートしたことはこのブログでも触れた記憶があるけれども、2月まずまず走りこんで3月は急がずにあえて10日ほど体を休めて4月から懸念なく走っている。 3月にランをディロードした…

止められない思考に気付く

思考に流されるともっていかれる。 思考は玉石混交。 よい思考もあれば害ももたらすこともある。 思考は止め難い。 なぜであろうかというほど止め難い。 ボーとしているはずなのに何か思い出してくる。 一度思考を止めてみて欲しい。 あっという間に何かを思…

善とは独身の確立のことである

善に向かうならば、何事も自分自身でやっていくことである。 結婚していようがいまいが、独身を確立していくこと。 これが他に見返りを求めずに済む行き方であると私は思っている。 なぜ腹が立つのか。なぜ怒るのか。 それは他に求めるものがあるからだろう…

性エネルギー昇華の実践とは魂の修行

多忙を極める3月である。 PTA会長として子どもの卒業式で祝辞を読まねばいけない。 この役目がけっこう重くのしかかっていた。 2週間ほど考えて1300字程度の文章を作ったのであるが、大変だった。 独断的にならずに気持ちを込めるという方向は案外…

善の共振こそが幸せの場である

走り込んでいる時の心境は最高だ。 前向きで雑念にとらわれている暇すらない。 ただ決めた目標まで走る。 それだけだ。 人格的な磁力、もしくは波動、そういうものは確かにあるように思う。 あの人といる時はやる気が出る。 あの人といるとなぜか力が出ない…

カルマに逆らわない生活

おそらくだが、魂の最終段階にある者は、できるかぎり悪いカルマを作らないように細心の注意をしつつ暮らしている。 自ら人々の業に飛び込むような愚かな真似はしない。 映画やドラマのようなことに興味は持たないはずである。 華々しさには必ず裏がある。 …

最善を目指して

故障も癒え、また走り始めている。 今月は月間100キロペース。健康的にも全く問題ないペースであろう。 さらに、坂道トレーニングをしっかりと意識して取り入れ始めた。 緩いジョグであっても、坂道をコースに組み込んだ。 どうやら坂道トレーニングこそ…

youtubeを使わない生活

今年からひとつまたやめたいことを実践し始めている。 それはYouTubeである。 もうこのサイトを利用しないという決断である。 子供にこれ以上使わせたくないと思い始めていたこともあり、まずは自分自身からということでもある。 実はここ2年くらいプレミア…

論理の前提まで失う時代

いかに今というところに集中して生きていくか。 生の充実。 関心はもうそこにしかない。 我々はなぜこの時代を選んで生まれてきたのだろうか。 問いはそこからはじまり、今に収斂していく。 あまりにも頼りないものばかりである。 政治にしかり、である。 結…

性エネルギー昇華の実践、零式

気付けば朝と夕の読経修行は10年を超えたかもしれない。 一日足りとて休んでいない。 もう年数を数えていないから記憶がややあやしいが(笑。 とはいえ、神々について思うことがある。 読経は、どんなに心が荒んだ時も行った。 そんなときは神々に対してすら…

性エネルギー昇華の実践を行うタイミングについて

年齢はおよその指標に過ぎないが、歳を重ねるごとに性エネルギー昇華の実践は形式的なそれ自体はたやすくなってくる。 異性から受ける力が弱まることもあるし、その本質を理としては理解し始めていることもある。 性エネルギー昇華の実践は、その負の側面が…

空間を支配し場をおさめていく

掃除は空間を支配する要だと感じている。 読経で心に方向を持たせてその因縁勢力によって掃除という行為を積み重ねていく。 これがいわゆる結界であるといって過言ではないだろう。 そして、その結界とはすなわち、神々の通り道である。 自分自身の身の回り…

集中力の聖域を作る祈り方

神々と言っても神と呼んでも神仏と表現しても、このあたりはもうどうでもよい。 各自のステージによるだけのことである。 ただ、いろいろな人をみてきたけれども、自尊心という防御はか弱い。 貧乏な人ほどむしろ尊大な態度をとったりするが、弱い。 ただの…

浅いこととの決別

命をかけてそれを己の表現として踏み出していく。 これを今年からの定としていく。 年始から様々なことが起きている。 私の予想では、この世はこのまま何事もなく進んでいく。 天災、人災はいつの時代にもある。 とり立てて騒ぎたい人もどの時代にもいるのだ…

強くなれない中で強くなる

10月の半ばごろに坂道ダッシュが原因で右股関節を痛めてしまいランオフに見舞われていた。 失敗した。 歩行には問題なかったので日常生活がどうこうしたわけではないが、ボルタリングに例えるならば、頼りにしていた支えが突然外れてしまったような感覚に…

光と闇は不即不離

進化を感じている。 許しながら精妙化を進めていくこと。 これができるようになるためには、不可避の苦労もまた意味がある。 なぜこんな目にあわねばいけないのか。 理不尽は、むしろ壁を砕いていくための重しとなっていく。 壁を砕く契機がなければ、ループ…

近況

毎日、命を使い切って生きているという感覚を大事にしている。 子供中心に近い生活ではあるけれども、それはそれで幸せだ。 とはいえ、それでも己自身の火も燃やしている。 寸暇を惜しんでという言葉がぴったりくるが、どんなに小さなことでも達成したことに…

人間関係の苦しみに打ち克つ道

実践先行型でここまで来ている。 結局のところ、理というものだけに依拠することは言い訳を生みやすい。 実践で切り開いた道だけが重さを与えていく。 これが実感である。 もっとも、実践は正しくなければいけない。 多くの賢者がそれぞれの実践から帰納的に…

きっぱりと独りで進む

私は大般涅槃経典と法句教典を読んでいる。 いわゆる最後と最初の経典である。 武漢コロナ以降は、法句経典をよく読んでいる。 このおかげでむしろ大乗の広がりがよくみえてきた。 法句教には、つまり、アホと付き合うなということが書かれているのではない…

私のマインドセット

心が引き裂かれてしまうような経験を何度かすることで得られる智慧がある。 それは残存したものを慈しむしかないという覚悟である。 失う経験はまさに闇であるように思う。 愛別離苦である。 理想に燃えることは素晴らしいことである。 光の中においてさらに…

紙一重の差にすべてをかける

日々の鍛錬。 これはもう巨悪ですら常識としているように感じる。 自分の利益の事しか考えないような人々こそむしろ鍛錬を怠らない。 酒も飲まないだろう。 マインドフルネスだってしている。 性エネルギー昇華だってしているだろう。 どうも騙されてきてし…

安心して楽しく進もう

子どもの理科の自由研究がクラス代表になり、合唱のピアノ伴奏のオーディションでも選出されました(笑。 理科の自由研究については親である私がかなりやり込んだのでどうということはないのだけれども、ピアノ伴奏のオーディションで勝ち抜けたことは子ども…

言葉に頼ることは飲酒と同じである

意味を頻繁に問う暇があるなら瞑想をした方がいい。 なんの意味があるのかとよく問われる。 その問いに対する答えはこうだ。 五感、六感、七感までの世界の範囲においてしか意味なるものは存在しない。 このブログもけっきょく、伝えたいことは言外にある。 …

鍛錬と性エネルギー昇華

実は最近プロテインを飲み始めている(笑。 調整中である。 理由は、食事だけでは栄養が追いついていないかもしれないと感じたからだ。 アラフィフともなると吸収力が落ちるときく。 実際そうかもしれない。 また、FPSバランスを維持したまま食事量を増やす…

集中していくための覚書

言葉、音、色、肉体などで表現できる領域が人間の世界の境界であると仮定する。その境界の内側が仕事の領域となる。言葉に関していえば、言葉と言葉の関係に論理が現れる。仕事は論理的あることが要請される。 霊的な事柄はその領域と重なりつつもそこからは…

夏休みの思い出作り

夏休みの自由研究に私が没頭している(笑。 6年生最後は伝説のアルキメデスの熱光線の研究である。 凹面鏡を自作するところからはじまり、失敗を含めると材料や道具だけで1万円は使ってしまったと思う(笑。 時間としては正味1週間はかかった。 なぜか火がか…

新しい発見が続く日々

上半身のトレーニングを本格化したことの意味がジョギングを通してかなり分かってきた。 神経回路が新しく通ったのか体幹に芯が入ったかのように安定してきたのを感じる。 やはり全身を鍛えることが大事なのだ。 マラソンを通して下半身の鍛錬から入ったこと…

後悔せぬ生き方

足りない状態というものは時に人を活かす。 しかし、足りない状態は緊張状態でもあるから、長期間その状態が続けば消耗する。 満たされることも時に人を活かす。 しかし、満たされることは停滞状態でもあるから、長期間それが続けば諸々の機能不全を起こす。…

どう陣をしくか

例えば話である。 もしお笑い芸人を目指したとする。 全く新しいお笑いを目指していたとしてもいずれは大御所と言われる古い芸人に挨拶をせねばいけない状況に追い込まれるだろう。 先輩後輩の関係になってしまうことは負担でしかない。 今ある業界のなかに…

邪霊を払う確実な方法

先祖供養とは何だろうか。 これは子孫を育て上げることだろうと私は思う。 どちらに向いて生きるか。 これはもう間違いなく子々孫々に向けていくことだ。 墓参りだけしても何の意味もない。 足元から逃げたくなる。 それが諸悪の根源なのだ。 逃げたいことが…