歳を重ねて、肉体から霊性へという流れになっていく。 その過程でこそ、肉体を鍛え労わる。つまり感謝。 無駄のないように。真に自分らしく。 霊性が心にしっかりとした形を与えていく。 肉体の視力などに全面的に頼らずに。 正念による、徳積による感覚に拠…
朝起きたらまず命に感謝する。 何よりはやく仏前にお水をお供えする。 そして読経をする。 読経をした後に身支度をし一日をはじめる。 自分を法の上におかない。 仕事等で時間がない日は寝具だけは整えて家をでる。 時間がある時は掃除機をかけたり水回りの…
少しだけれども、風の中に秋の気配がでてきた。 ジョギングは夕方5時からしている。 小さな小さな忍辱行ではないかと思う。 つまり、暑さに耐えるというやつだ。 人はいじめてはいけない。 ならば自分もいじめていはいけない。 こういう理由から常に適度な…
慈悲喜捨の四無量心。 つまるところ性エネルギーはこの4つの心の醸成に使用したい。 その心を金剛不壊となるよう鍛えていく。 怒りはすべての善根を焼き尽くす。 それくらいにカルマを生み出す。 他に向けるものであっても自己に向けるものであっても心すべ…
怒りはすべてを台無しにする可能性を秘めている。 これからの荒れた時代、怒りを制御することはとても大切なことになると思う。 怒りは登山で言えば滑落だ。 瞑想と性エネルギー昇華。 このところさらに初心へ回帰している。 法。不動心。 それを貫徹するた…
前回の記事で、本当の自信とは心の切り替えが可能であることについての確信であるということを書いた。 とはいえ、想念を浄めていく方向も大切である。 ここについては、神仏を中心にせざるを得ないだろうと思われる。 世間的な価値に基づいてどのような思い…
必ず立ち直れる。 はやく切り替えることができる。 この確信があればこそ、諸々の感情の起伏を恐れることがなくなる。 無感覚になる必要はない。 反応するかどうかを自分で決めていくのだ。 相手の悪意ある挑発になぜ乗ってしまうのか。 自分に自信がないか…
体調や精神状態の不良は、これは好機でもある。 変化が必要な時ほど、である。 好調な時は、思考の総量が爆増する。 しかも、それを消化できていると誤信しても問題ないほどのエネルギーがある。 浮かれてしまう。 しかし、そういった状態も不変ではありえず…
少し早く起きて子供の朝食を作るようにしている。 これをやっている父親は少ないのではないだろうか。 このブログで提唱しはじめている独身の確立活動の一環でもある。 掃除家事は修行の要であるが、その拡張版といってもいい。 私には西洋流の契約観念が戦…
瞑想を継続している。 活路はここしかないという思いがあるからだ。 時代の濁流が迫っている。 そのただなかにあって、正気でいられること自体がもはや最高の価値であるように思い始めている。 私も他の諸々の価値をわざわざあえて否定するようなことはしな…
最近のジョグは7キロから10キロのレンジでやっている。 幸せだ。 1月からリスタートしたことはこのブログでも触れた記憶があるけれども、2月まずまず走りこんで3月は急がずにあえて10日ほど体を休めて4月から懸念なく走っている。 3月にランをディロードした…
思考に流されるともっていかれる。 思考は玉石混交。 よい思考もあれば害ももたらすこともある。 思考は止め難い。 なぜであろうかというほど止め難い。 ボーとしているはずなのに何か思い出してくる。 一度思考を止めてみて欲しい。 あっという間に何かを思…
善に向かうならば、何事も自分自身でやっていくことである。 結婚していようがいまいが、独身を確立していくこと。 これが他に見返りを求めずに済む行き方であると私は思っている。 なぜ腹が立つのか。なぜ怒るのか。 それは他に求めるものがあるからだろう…
多忙を極める3月である。 PTA会長として子どもの卒業式で祝辞を読まねばいけない。 この役目がけっこう重くのしかかっていた。 2週間ほど考えて1300字程度の文章を作ったのであるが、大変だった。 独断的にならずに気持ちを込めるという方向は案外…
走り込んでいる時の心境は最高だ。 前向きで雑念にとらわれている暇すらない。 ただ決めた目標まで走る。 それだけだ。 人格的な磁力、もしくは波動、そういうものは確かにあるように思う。 あの人といる時はやる気が出る。 あの人といるとなぜか力が出ない…
おそらくだが、魂の最終段階にある者は、できるかぎり悪いカルマを作らないように細心の注意をしつつ暮らしている。 自ら人々の業に飛び込むような愚かな真似はしない。 映画やドラマのようなことに興味は持たないはずである。 華々しさには必ず裏がある。 …
故障も癒え、また走り始めている。 今月は月間100キロペース。健康的にも全く問題ないペースであろう。 さらに、坂道トレーニングをしっかりと意識して取り入れ始めた。 緩いジョグであっても、坂道をコースに組み込んだ。 どうやら坂道トレーニングこそ…
今年からひとつまたやめたいことを実践し始めている。 それはYouTubeである。 もうこのサイトを利用しないという決断である。 子供にこれ以上使わせたくないと思い始めていたこともあり、まずは自分自身からということでもある。 実はここ2年くらいプレミア…
いかに今というところに集中して生きていくか。 生の充実。 関心はもうそこにしかない。 我々はなぜこの時代を選んで生まれてきたのだろうか。 問いはそこからはじまり、今に収斂していく。 あまりにも頼りないものばかりである。 政治にしかり、である。 結…
気付けば朝と夕の読経修行は10年を超えたかもしれない。 一日足りとて休んでいない。 もう年数を数えていないから記憶がややあやしいが(笑。 とはいえ、神々について思うことがある。 読経は、どんなに心が荒んだ時も行った。 そんなときは神々に対してすら…
年齢はおよその指標に過ぎないが、歳を重ねるごとに性エネルギー昇華の実践は形式的なそれ自体はたやすくなってくる。 異性から受ける力が弱まることもあるし、その本質を理としては理解し始めていることもある。 性エネルギー昇華の実践は、その負の側面が…
掃除は空間を支配する要だと感じている。 読経で心に方向を持たせてその因縁勢力によって掃除という行為を積み重ねていく。 これがいわゆる結界であるといって過言ではないだろう。 そして、その結界とはすなわち、神々の通り道である。 自分自身の身の回り…
神々と言っても神と呼んでも神仏と表現しても、このあたりはもうどうでもよい。 各自のステージによるだけのことである。 ただ、いろいろな人をみてきたけれども、自尊心という防御はか弱い。 貧乏な人ほどむしろ尊大な態度をとったりするが、弱い。 ただの…
命をかけてそれを己の表現として踏み出していく。 これを今年からの定としていく。 年始から様々なことが起きている。 私の予想では、この世はこのまま何事もなく進んでいく。 天災、人災はいつの時代にもある。 とり立てて騒ぎたい人もどの時代にもいるのだ…
10月の半ばごろに坂道ダッシュが原因で右股関節を痛めてしまいランオフに見舞われていた。 失敗した。 歩行には問題なかったので日常生活がどうこうしたわけではないが、ボルタリングに例えるならば、頼りにしていた支えが突然外れてしまったような感覚に…
進化を感じている。 許しながら精妙化を進めていくこと。 これができるようになるためには、不可避の苦労もまた意味がある。 なぜこんな目にあわねばいけないのか。 理不尽は、むしろ壁を砕いていくための重しとなっていく。 壁を砕く契機がなければ、ループ…
毎日、命を使い切って生きているという感覚を大事にしている。 子供中心に近い生活ではあるけれども、それはそれで幸せだ。 とはいえ、それでも己自身の火も燃やしている。 寸暇を惜しんでという言葉がぴったりくるが、どんなに小さなことでも達成したことに…
実践先行型でここまで来ている。 結局のところ、理というものだけに依拠することは言い訳を生みやすい。 実践で切り開いた道だけが重さを与えていく。 これが実感である。 もっとも、実践は正しくなければいけない。 多くの賢者がそれぞれの実践から帰納的に…
私は大般涅槃経典と法句教典を読んでいる。 いわゆる最後と最初の経典である。 武漢コロナ以降は、法句経典をよく読んでいる。 このおかげでむしろ大乗の広がりがよくみえてきた。 法句教には、つまり、アホと付き合うなということが書かれているのではない…
心が引き裂かれてしまうような経験を何度かすることで得られる智慧がある。 それは残存したものを慈しむしかないという覚悟である。 失う経験はまさに闇であるように思う。 愛別離苦である。 理想に燃えることは素晴らしいことである。 光の中においてさらに…