最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

性エネルギーを美しい行動に昇華する

他者のしたことしなかったを評価しない。

それを認識したとしても評価をスルーする。

これには修練を要するが、獲得せねば命を削られるだろう。

カッとなって義憤のまま特攻してしまうことは次世代を見殺しにする結果になる。

理不尽をあえて浴びていく。

そしてそのダメージを一切受けないことである。

ここで邪悪を食い止めることが我々の世代の任務である。

力には使いどころがある。

 

一刻一刻を集中し一つ一つを整序しておく。

直ちに実戦に使えるようにしておく。

肉体然り、学問を基礎におく実務に然り、身の回りのものすべてにおいてだ。

革靴、シューズは磨いて清潔にしてあるだろうか。

もしそれを怠っているとしたらすでに隙が生じているといってよい。

 

これからの濁流の時代においては、己のしたことしなかったことが主題になる。

そこをしっかり認識して評価することから逃げてはいけない。

逃げれば、本来の力を発揮することはできないからだ。

性エネルギーを脳に蓄積することで恐怖に打ち勝つ力を滋養できる。

 

善悪で悩むより美しさを求める。

これで魂の硬さがほぐれていくに違いない。

以前の記事でも何度も記したが、性エネルギー昇華の実践は悪でも行うことが出来る。

弱い正義が蹂躙される理由はそこである。

善悪二元論的な行き方は罠と思い直したほうがよいだろう。

冒頭に言ったことに通じるのだが、悪を悪と評価するそのことが悪の目論みなのである。

義憤などは悪の思うつぼということである。

 

よい言葉よりよい行動だ。

言葉は少ない方がいい。

もし大切な後輩がいるならば、行動のみで諭していく。

言葉に頼ることは己の悪癖を隠蔽する。

行動により闇を破っていく。

そこに生じる光こそが全ての人を照らす指針となっていく。