最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

確かに思いが通じる時はある

子供が急きょ駅伝教室に通うことになり、私も送り迎えで土日がなくなってしまった(笑。

先週やっとスイミングスクールでクロールが合格になり(5か月かかった)、その解放感も束の間、クラスメイトからの誘いがあったのだった。

うちの子は3年生のマラソン大会でビリを経験しているほどの鈍足である。

しかし、そのクラスメイトいわく駅伝大会に必要なメンバーがどうしても揃わないということで声をかけたということだった。

 

やっときたか!

これは縁であると私は確信している(笑。

走るということが脳にもたらす刺激は本当に価値がある。

私自身のこの確信が呼び込んだものだろう。

確かに私は子に伝えたいこととして念じ続けてきた。

 

運動が得意であるとか不得意であるとかいうことは実はたいした問題ではない。

じっくり運動神経を通せばよいだけの話にすぎない。

大切なことは、そのプロセスで得られる精神力である。

うちの子も普通の子である。

ゆえに、「めんどくさい」だの「もういいんじゃね」だの本当に私の嫌いな言葉を平気で口にするのである(笑。

 

しかし、忍耐力こそがあやゆる諸徳の基礎である。

ここだけは絶対に避けては通れない。

そしてそれは失敗を教師として己自身で練り込んで鍛えていくしかない孤独な道を通して得ていくものである。

もちろん、生活のあらゆる局面が修行の場であるが、走るという行為はその修行を非常にしやすいものにしていくことにもはや疑いの余地はない。

走ることで得られる精神力。

これは生活の困難に打ち勝つための忍耐力の滋養にとても役に立つ。

 

我が子もやっとその端緒についたかと思うと、ほっとするものがある。

まさかという展開はあるものだ。

大急ぎでジャージ上下にランニング用のトレーニングウェア上下を揃えたが、久々にいい買い物ができた(笑。

我が子の世界がひとつ開けたことに感謝しかない。

真摯に努力できる子になっていってもらいたい。

ただそれだけである。