友達とは何だろうか。
この問いについて、私は自分が友達だと感じた人と答える。
相手が自分をどう思っているか。
これは関係ないように感じている。
もし誰かが「あいつはおまえのこと嫌いだってよ」と言ったとしても、自分の人生を振り返り彼(彼女)の存在が欠かせないものであったとしたならば友達として貫徹すべきだろう。
もしかしたら友の危機なのかもしれない。
貫徹することが友情だ。
「だったらどうした。」
そう答えるべきだ。
孤独を恐れることがそもそもの間違いなのだ。
ペアを作って下さいと言われて困ったならば、一人でいた方がいい。
そこで焦ってしまうから自分と時間を見失うのだ。
独りでいられること。
これ自体に大きな価値がある。
どんな価値か。
それは、自分の人格の力を伸ばすことができる絶好の機会なのである。
たとえば、独りで本を読んだり絵を描いたり運動をする。
絡まず静かに自分と向き合っているときにこそ磨かれていくものがあるのであって、おもしろいことに、その錬磨による果実が人格に不思議な磁力をもたらしていく。
そして、その磁力が、いずれ磁力同士がひきあうときに初めて敬意を伴った共感が生じるのだ。
孤独を恐れない勇気ある者同士の関係である。
それが私の言うところの友情だ。
真摯に努力しない者には友達はできない。
もてあました欲望を解消するための関係はただの政治活動であって友情ではない。
友達関係で悩んでいますという人が時々いるけれども、それは政治活動で悩んでいるだけであって、友情で悩んでいるわけではない。
政治活動が異様に巧い奴がいるために幻惑されているだけにすぎないことに気付ければ問題は即時に解決する。
本当の意味で生涯において関われる人間はおそらく多くて5人だ。
もし友達が3人いると言えるならば見事である。
それは漆黒の闇に輝く星同士のようなもので、なんとも言えぬ連帯感が美しい。
苦境にあっても友を感じながら努力ができること。
これも大きな幸福の源泉のひとつである。