今日小学5年生の子供がテストでケアレスミスをしてきたので、その原因について語り合った。
片付けがいかにケアレスミス防止に役に立つかということを説明した。
何をどこにしまうか、それは本で言えば章立てのようなものだ。
気分のままに放り出して適当にしまい込んでいるようでは頭は混乱するばかりだ。
章立てがあるから物事を手際よく理解し整理できるのだ。
片付けも同じだ。
今日のテストの失敗を軽く見てはいけない。
問いに対して形式的に答えることができかったことは普段の錯乱した生活態度と関連している大きな失敗だと。
見た目をきれいにすることと片付けることは全く違う。
新しい物がきれいにみえるのは当然だ。
片付けても一見きれいにみえないものもある。
しかし、普段から片付けを励行しているならば、そのきれいにみえないものもよく理解でき美しくみえるようになると。
片付けは全体を意識すること。
片付けた場所の中身の整理は、休みの日に時間のあるときにやろう。
とにかくまずは全体を意識してバランスよく段取りをとれ。
バランスの美しさを大切にしろと。
さて、ここからは子供には語らなかった私の本音である。
掃除と片付け。
これ以上の霊的浄化方法は経験上ない。
掃除で浄めて片付けで正気を得る。
つまらない宗教家を招いて祈祷によって浄霊してもらうならダスキンにクリーニングを頼むべきだ。
これは本気で言っている。
真言の力は確かにある。
しかし、それは物理的にも浄化されたところを通るのみである。
社会人は傷ついて帰宅する。
意業を癒すためには浄化された物理的な場が絶対に必要である。
それゆえ体力があるうちに生活の場を掃除片付けで備えておくは最優先にせねばいけない。(何もできないならまずは換気をせよ!)
そこを甘く見積もっている者がいかに多いことか。
性エネルギー昇華の実践は片付けという智慧の実践の中心から縦に伸びる芯のようなものである。
霊的な観察をしてみて欲しい。
それはまったき曼荼羅のような攻防一体の戦陣となる。
人格の磁力が著しく強化されて安定してくると人間関係もうまくいく。
まさに平和となる。