最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

苦手意識は穢れである

今日は子供とジョギングをした。

一緒に走った距離は2キロ。

うちの子はあまり運動が得意ではないと思っているらしく苦手意識から走るということ自体にフォーカスできていない。

フォーカスしていくためにすることはひとつしかない。

それは実際に走って、走るということ自体に慣れるしかない。

単純なことだ。

かつての私がそうであったように、やればできるようになる。

やり遂げたという事実が意識を塗り替えるからだ。

子供に伝えたいことはそれである。

 

子供と別れてからは独りでゆっくりと走った。

走ることについて少し考えの結論をまとめてみた。

ジョギングは苦しいものではない。

むしろ気持ちがよくなる。

きついマラソンが連想されるから勝敗と息苦しさに戸惑うのだ。

競う順位よりも、たとえば、毛細血管が増加率といったそういう個人的な指標があってもよいのではないだろうか。

体力の向上が可視化できれば走るスピードばかりに興味がいくこともないだろう。

ゆっくり走ることだけでも得られるものはある。

私の場合、脳の活性化によるストレス解消である。

 

ちなみに、私は、ゆっくり90分くらい走るときにはYouTubeで深夜ラジオを聴くようにしている。

昔は語学学習用のMP3プライヤーで録音して聴いていたものだが、今はYouTubeがあり便利になった(笑。

ラジオを聴くことは本を読むのと同じ様にちょっと脳に負荷がかかるので、とても良い効果があると思う。

おすすめは伊集院光深夜の馬鹿力です(笑。

もう10数年聴いていると思う(笑。

 

ともかく、苦手意識というのは単なる穢れである。

それは可能性を減じるだけで一つもよい事がない。

得意、不得意というものはある。

しかし、不得意であるということが努力の妨げになるようでは、そこには見栄のような意地汚い意識が隠れている。

人生の当面の目標は、自分の持ち味を生かして生活することであるが、見栄っ張りでは絶対に実現することはできない。

見栄の本性は自律ではなく他律であるからだ。

苦手意識ではなく自分をもっと愛おしく思っていかねばいけない。

自分にとってプラスになることをもっと真正面から受け入れていく。

他と比べるのではなく自分自身の一歩一歩の成長を命に感謝していく。

 

これからの時代は結果重視ではなくプロセス重視である。

歴史に鑑みれば、もはやプロセス重視でなくては人は幸福にはなれない。

ジョギングはまさにプロセス重視そのものといってもよいと思う。

走っている人には分かる。