2023-01-01から1年間の記事一覧
年始に高校時代の仲間と会い語らった。 私がつまらんギャグを言ったら、本当にボコボコにされてしまった(笑。 久々の感覚である。 学生時代特有の屈託のない瞬間を久々に味わった。 もちろん、その仲間たちは皆とても優しくなった。 仲間というのものはいい…
人間100%に価値が出てくると予想する。 2022年までの雑誌や書籍は捨てずにとっておくとよいかもしれない。 きっと価値がでる。 これからAIが書いた文章の比率が確実に増えていく。 報告文書のような類のものはそれでもよいかもしれないが、やはり小説エッセ…
子供が保育園の年少児だったときの年中、年長だった子供達は、遠巻きながらも、その成長を見守ってきた。 やっぱり、可愛いからだ。 その年中だった子供達が今日、小学校を卒業した。 うれしくも寂しい。 いろいろあったことが宝になる。 様々な感情を体験し…
www.youtube.com 大晦日、私が唯一声を張り上げて応援する番組だ。 同年齢のケインコスギの挑戦には絶叫した(笑。 今年もおそらくケインは挑戦するだろう。 私も自分の人生にさらに本気になっていきたい。 もっとやらなければいけない。 一日一日を大切にし…
活力が以前より強くなってきている。 超回復というやつだろうか。 やはり、これはどうあっても成長のためには苦痛は避けられないということなのかもしれない。 今年から負荷をあげていくと宣明した結果ということかもしれないが、このブログもしばらく私自身…
とても忙しくしている。 心を亡くしているわけではないが、時間を大切にしている。 一難去ってまた一難。 人生とはそういうものであるという覚悟がだいぶ固まってきたように思う。 つまり、焦ることがかなり減ってきた。 瞑想の効果が出てきているようにも感…
一呼吸一呼吸に籠るように過ごしている。 それが自分自身の空間であるかのように。 おそらくこれが瞑想ではないだろうか。 そこからはみ出て舞い上がる。 それが破戒に通じる。 短い時間であったとしてもそこに真心を込めていく。 このブログで書いてきたこ…
人生最後の戦いが本格的になりつつある。 魂のウェイトトレーニングなどではなくただの実戦でしかないような状況が急にはじまった。 このブログでは何度か触れたと記憶しているが、私の家族の問題が遂に動き出したからだ。 我が子の未来のために私は力のすべ…
小学五年生にもなってお父さんにベタベタしてれる子なんてあんまりいないんだからね!と先日娘に言われた(笑。そろそろ子育てのフェーズが変わってくる。 子供のために費やす時間が徐々に減ってくるだろう。 思い出す。偶然立ち合い出産になり我が子を抱き…
若者に厳しい世の中になった。 私が20代の頃は、30歳までは何をやっても許されるという風潮があった。 スシローの件だ。 高校生に100億の賠償を立てるとは何事だろうか。 ポーズであったとしても狂っている。 教育的な厳罰どころではない。ただの抹殺…
呼吸に集中する。 これには素晴らしい効果がある。 そして、呼吸にはスライディングスケールのように幅があり、イメージとして静と動がある。 静かに座ってする呼吸は静であり、激しいダッシュのような時の呼吸は動である。 静としての呼吸はまさにいつでも…
如来は地獄に入るとも苦想を生ぜずという。 なるほどと思うことは、瞑想の核心にあるのかもしれない。 閃きのような大きな前進があった。 ダッシュのような大きな動作と呼吸のような小さな動作。 これは瞑想の両輪である。 そのことが体験を通して少しずつ分…
呼吸には注目している。 なかなか徹底した実践に結ぶことなくここまできてしまった感があるが、今年から瞑想をはじめている。 マインドフルネスの実験では一日20分で8週間続けると脳の偏桃体に物理的変化が生じたということらしい。 私が瞑想に注目してい…
今年は負荷をかけることを基本指針としたので、ジョグも走りに濃淡をつけている。 つまり、インターバル走のようなことをしている。 そして、最近になって少し発見したことがあるので書いてみたい。 ダッシュの健康に与える効果である。 ダッシュをした日は…
コミュニケーション能力がないとはどういうことか。 これには私なりに答えがある。 それは、約束を守れない人のことだ。 端的にそれだけである。 果たして約束を守ることに能力がいるだろうか。 私はコミュニケーション能力という言葉を使っている人は分かっ…
以下、繊細な人(ハイセンシティブパーソン)を前提とする。 根が鈍い人は当てはまらない。 先祖供養とはどういうことだろうか。 これは自分や自分の子を大切にするということだろう。 自分や自分の子を大切にして生きているならば、寺の坊主による読経供養…
今年の抱負。 年齢を重ねると負荷のかかる努力を避けたくなる。 風邪は万病のもとというが、この言葉の根元にあるものは億劫さというものだろう。 私も12月は2週間以上体調不良が続いたが、限界というものばかりがチラついていた(コロナではなかった)。…