コミュニケーション能力がないとはどういうことか。
これには私なりに答えがある。
それは、約束を守れない人のことだ。
端的にそれだけである。
果たして約束を守ることに能力がいるだろうか。
私はコミュニケーション能力という言葉を使っている人は分かっていないのだと思う。
このブログでは当初から、キャラに頼るなと指摘している。
真摯さのみに頼れと。
実は、これがコミュニケーションの肝であると最近痛感する。
この世にはお笑い芸人のように巧みな話術で人を楽しませる者がいるが、あれはタレントも含めた技術である。
私がいうキャラとはそういうこといっている。
そういうものには頼るなと。
時々、話すことが苦手だから人と関わることができないという者がいるが、それは憧れ方が間違っているとしかいいようがない。
違う。
話すことが苦手でも物事に真摯であり約束をきちんと守ることができる人は必ず「まともなコミュニティ」に入ることが出来る。
人をたぶらかして強奪することがうまい詐欺師のような奴は必ずはじかれる。
だらしない性格とあいまってそういう連中の付き合いは常に初速だけである。
約束を守らないから必ず嫌われる。
口がうまいだけのクズである。
そういうクズをクズと言い切れなければいけない。
凄くないものを凄いと思っていることが間違いなのだから。
コツはひとつ。
真摯に人との約束をひとつひとつ守っていくことである。
その過程で細々した奴だとか融通が利かないとかいろいろ思われることがある。
しかし、そこをグッと堪えながら淡々と約束を守り続けていけば、いつか必ず大きな評価と信頼を得る事が出来る。
これが心通うコミュニケーションの姿である。
根暗でも陰キャでもいい。
自分の性格を直す努力とコミュニケーションを繋げる必要は全くない。
細やかな真摯さだけである。
ここは信仰上の肝と重なる興味深いところである。