最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

瞑想は苦痛を激減させる

瞑想を継続している。

活路はここしかないという思いがあるからだ。

時代の濁流が迫っている。

そのただなかにあって、正気でいられること自体がもはや最高の価値であるように思い始めている。

私も他の諸々の価値をわざわざあえて否定するようなことはしない。

投資、旅行、グルメ…どんなこともあっていい。

しかし、人生の終末の一瞬から逆算するに、人生の価値は必ず慈悲や愛といったものに収斂されていくはずである。

 

ここ数日やや風邪気味であるが、瞑想があればたいしたことではない。

走れない。筋トレができない。

これもとりたてて不都合ではない。

座する場所さえあれば問題ないのであるから。

 

家族との関わり自体が最大の魂の修行であるから、そういうものであるから、時にきついこともあるが、しかし瞑想があれば、30分もあれば切り替えられることに気づく。

放っておけばいい。

この確実な発想は瞑想を抜きには得られない。

 

この今の関わりのなかにあって、愛他で結んでいく。

他に善をぶつけていくことではない。

愛他で結んでいく。

この連続が活路である。

これが自身を律することであり、私には独身の確立と思えるものである。

 

瞑想がなければ不都合なことばかりが起きる時代になる。

呼吸が乱れた分だけ苦しみは増すだろう。

欲望は刃となって身と心を切り刻んでくる。

個人にとっては戒定こそが核戦略兵器のようなものである。

 

やることはやった。

この後悔のない心境こそが目標であるように思う。

 

怠らず励む。

これに尽きる。