最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

私の未来予測

とても忙しくしている。

心を亡くしているわけではないが、時間を大切にしている。

一難去ってまた一難。

人生とはそういうものであるという覚悟がだいぶ固まってきたように思う。

つまり、焦ることがかなり減ってきた。

瞑想の効果が出てきているようにも感じる。

ただ出来るように努めるだけである。

努めた結果がどうなるか、それは変数のようなものが多すぎて予測などはできないのである。

自分がコントロールできないものに悩まない。

結果として受け止める時期がきたら、それを前提にまた歩み出せばいい。

その過程で魂が磨かれていく。

結局、常にそれが真の目的なのだ。

 

そういえば、かなり苦しい時期だったが、酒が飲みたいとは一片たりとも思わなかった。

ここは完全に意識の世界を変えることに成功したといえる。

酒はやめた方がいい。

これは乗り越えられることであるからだ。

 

さて、本題。

今、社会人として生きている人にとっては時代がどう動いていくのか関心を持たざるを得ないだろう。

チャットGPTは衝撃的である。

それの作成した文章を子細に読むと、まだまだ粗い点があるがあるものの、あと5年もすればという思いを誰しもが抱いているのではないだろうか。

ただ、人間の皮膚感覚や性や喜び、胸の痛みといったようなものは人間固有の領域として残り続けるだろうとも思う。

もちろん、脳プラグを通したジャンクな新感覚というものは様々登場し続けるであろうが、結局のところは、まさに仏典がいう「人身受け難し」である。

やはり一周すれば必ず「生身」こそ大切になってくる。

そして、人というものが再びに根源的にアナログ的に問い直されていくだろう。

突き詰めていけば、人としての優しさとか思いやりといった素朴なものだ。

商品化されてしまえば意味がなくなる性質のものの精査が始まるだろう。

 

商品化されてしまえば価値が消失されてしまうような事柄に今一度目を向けていくことが時代を生き抜いていく秘訣ではないかと私は直感している。

時代はもはや営利を追求する会社にはない。

その人個人に感動しその人の行ったこと対してお金を払いたくなっていく。

こういう流れになっていくに違いない。

獣のように放縦に生きる者にとっては地獄のような時代になるだろう。

一方で、地道に実直な生を目指す者にとっては信頼の和を広げていけるよい時代になると言い得るのではないだろうか。

金銭評価を離れたところの絆によって無理の無い労わり合いのあるビジネスが展開できるのである。

これほど安心できることはないだろう。

そして最近技術が仕事のミスを減らすのだから、絆も守られやすくなることは間違いない。

仕事の成果がさらなる「仲間」を増やしていくだろう。