最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

性エネルギー昇華の目的は死を乗り越えるためにある

今日のジョグは久々に10キロまで距離を伸ばす。

走力は貯金のように貯めることができない。

やはり普段走る距離を過ぎると筋肉が固くなったような感じになる。

昔は簡単にできたんだから今もできるはずと思いたくなる。

肉体と心。

走っているときは自分だけの世界になる。

だからいろいろ奥深くなってくる。

 

欲をかくと平常心を失う関係にある。

しかし、欲を出してもトータルでは結果は変わらないかマイナスになる。

私はあまり戦略的な行動は得意ではない。

ただ、平常心でいることがそのまま戦略的な行動になっていることがあるに気付くことは多い。

私はそこに神仏の加護を感じる。

 

死を迎える瞬間というのは必ずある。

私はそこをもう無視しない。

このブログで憎悪や恨みという言葉を使う理由は、それが死に際して最も後悔する感情であろうからだ。

いつ何時大地震や大台風が来るか分からない。

武漢コロナにやられるかもしれない。

大恐慌が起こり凶悪犯罪に巻き込まれない保証もないのである。

希望を無邪気に語ることはもはや本質から遠ざかっている。

 

性エネルギー昇華は死を乗り越えるために行うといっても過言ではない。

長期間行うことが目的ではない。

いつ不幸が襲ってくるか分からないからそれに備えるために行うのである。

だから死ぬまでやるのだ。

この視点を持つブログはこのブログ以外にはないだろう。

 

他には温かくすべきだ。

思いやりをもって接していく。

ただそれだけが後悔を残さぬ生き方である。

それ以外に拠り所になる行き方はもはやないだろう。

見栄や誇りというものは移ろいやすい。

過去の栄光にはすがりやすい。

そんなものではなく今のこの一歩に集中して足を差し出していく。

足の裏にすべてを感じるように踏みしめていく。