最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

今の工夫が敗れても戒定慧がある

よく運動すればよく眠れるようになる。

加齢とともに自律神経が弱まってくるので、運動こそが導きの糸になる。

一般論である。

 

週6で走った。

これは自己最高である。

しかも足の調子はよいのである。

昨年までは連日走ること自体が故障の原因になると思い込んでいた節があった。

実際ロング走の翌日に走ったことが原因で故障した経験が数回あったこともあり理由はあったのだけれども、試していないことがあったのだ。

それは短めの距離で連日走るというパターンであった。

 

今年の5月からその新パターンを実践しているのだが、これが調子が良い。

成果もある。

なぜだか膝の古傷も痛まなくなった。

ただ休めばいいというものではないという新発見である。

 

さて、睡眠についてである。

昔は短時間睡眠が流行った時期があった。

2ちゃんねるにも短眠スレッドが結構あったのを覚えている人もいるのではないだろうか(笑。

しかし、今ではすっかり見当たらない。

睡眠については十分に取った方がいいということで科学的な結論が出たといってもよいのだろう。

 

睡眠は大切だ。

一番大切だと思う。

心を御すといった場合、睡眠不足からくるストレスは大敵となってくる。

誰でも恨みつらみの一つや二つを抱えながら生きているものだ。

そういう中で自分の人生も生きねばいけない。

人格の深奥に残る疲労をどこで回復するのか。

それはもう睡眠以外にはないといっても過言ではないだろう。

旅行に行こうが、飲みに行こうが、そういう気分転換で断ち切れるほど人の悩みは浅くはないのである。

切り替えるためには睡眠をよくとる以外にない。

 

とはいえ、睡眠は本当に思う様にはいかない。

運動がはまらない時は確かにある。

私のしている工夫は二つある。

ひとつは耳栓である。

これは実践している人は案外いるんじゃなんかと思う。

そしてもうひとつは、ただ横になっているという状態だけでよしとすることである。

ただ横になって目をつぶっているだけでも50%の回復は見込めるとのことである。

 

うまくいかない時ほど戒定慧である。

絶対に安易な手段を使ってはいけない。

寝酒は最悪であるし、睡眠薬もよほどのことがない限り使ってはいけない。

最善を尽くしても眠れない日は、そういう日であると前向きになる。

私も仕事関係で冷汗をかいて眠れない日などは時々あるが、それはもう運命だと割り切っている。

失敗が死ならば、仕方ない。

日々が戦場であると覚悟する。

安楽を平常とするから煩悩が深まるのだ。

 

戒定慧を尽くしてこそ現状を受け入れることができる。

工夫で思いがけず事態の打開をはかることができることもあるが、そういかない時ほど戒定慧に拠っていく。

目先の結果を追うことなく守るべきものを絞り込むというべきか。

今日の記事はとりとめない感じになってしまったが、これが今の私の進み方である。