自灯明法灯明を主軸にして淡々と精進し、自らを取り巻く環境そのものをいわば道場とし苦難を自らを磨くものとして感謝をしていく。
その相に神々が作用してくださるがゆえに、神社仏閣をおろそかにしてはいけない。
苦しい事をただ苦しいと因縁識のままに認識を深めてしまうことが転倒なのであり、因縁識を因縁識として認識することが智慧の第一歩である。
ここは本当につい忘れてしまう点であるように思う。
常に炎は燃えさかっている。
人生とは戦場であることもまた真実である。
しかし、この強烈な抵抗こそが、魂がその成長のために渇望していたものでもある。
魂にとっては快適さが重要なのではない。
あらゆる感情を体験することを望んでいるのだ。
愛から憎しみまでを求めているのかもしれない。
どうやら愛だけではすまぬようである。
静かに努力を重ねていく以外に道はない。
しかし、その道に至るまでには数々に試練に耐えねばいけないだろう。
静かに努力を重ねられること自体が幸いなのだ。
感情的になって叫び出す者もある。
耐えきれずに投げ出す者もある。
忍耐が切れた者は皆振出しに戻っていくかの如くである。
地獄絵図でみるような光景はそこらじゅうにある。
不飲酒戒、読経修行、そして適切な運動と瞑想、学問。
今一文で示したが、これが私のここ10年の実践である。
一息つくたびにやってきてよかったと確信する。
さらに強固なものにしていきたいと思うのだ。
分からない人には分からない。
しかし、私の実践が激励となる人もいるだろう。