道徳や倫理と教えのどこが違うのか。
単刀直入に言えば、道徳や倫理には救いがないということである。
道徳や倫理に基づいた善悪の判断は、人によってまた時代によって全く違うことがある。
哲学的にいえば、異論は出せるが正確な反論ができないというジレンマに常に陥る。
自分をガチガチに縛ってしまっているものは何だろうか。
アイツのやっていることは絶対におかしいはずなのに!クソ!
これである。
己の七識(因縁識)の歪みのままに物事を認識してしまいマイナス思考を繰り返してしまう経験を持つ人は多いと思う。
これは己の正義で己を裁いているということでもある。
しかし、少し意識を修正すればずいぶん楽になるはずである。
まず相手も相手なりの七識(因縁識)によって言わされてしまっていると認識することである。
かわいそうだなと思うことだ。
そして、自分自身もまた同じ因縁識で苦しんでいると認識することである。
コツとして物事は少し手前で受け止めた方がいいと私はそう教わった。
つまりこれは一つの空の実践といってもいいかもしれない。
教えの観点から道徳や倫理をみてみても、確かに、時代や風土に磨かれているよき伝統というものはやはり意味があることが多い。
しかし、教えは宇宙観に立っていくことで自在を先に得るので、倫理や道徳を尊重しつつもその善悪にはとらわれずいることできるのである。
多少の理不尽ならば「こんなことは怒ることでもないな」と心を光速で切り替えることができる。
セブンセンシズ(七識)に目覚めるとはこのことである。
これがコスモの真髄であり一つの救いでもある。