最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

私の最前線

定とは空を理解することである。

混迷とした時代において定に入ることがどれだけ救いとなるか。

五感識に対応するものを空と意識するだけで苦しさの直撃を免れることができる。

これこそが現実的な救いといえるのではないだろうか。

 

定へ至るには一工夫必要だろう。

意味の分からない漢文の経典はあまり意味がない。

書いてあることがよく理解できる経典を一冊用意しておくべきだ。

読経はそれを用いる。

 

戒律をよく守るという観点がとても重要である。

どうあっても欲楽のための行動は定の妨げにしかならない。

酒と不邪淫である。

これらは肉体と魂から力を確実に奪っていく。

性エネルギー昇華の実践が常に保たれるならば、底堅いことは間違いない。

しかし、人の身である以上現実的な線はあるだろう。

一方で酒は間違いなくやめることができる。

不飲酒戒をベースラインにおいておくことがよい。

この実践によって私はよく保たれているという実感が確かにある。

 

そして、空の先が智慧である。

私は今でも親族の問題で悩み深いところがある。

定の実践に向けることで凌いでいるわけであるが、より明らかな智慧が必要となりつつある。

しかし、それはどうやらもはや外にはないと感じ始めている。

さらにより底堅くいかねば先はないようにすら感じ始めている。

 

対峙すべきは理不尽による憎悪である。

己自身の鬼に打ち勝つことが最大の課題ということになるかもしれない。

経文はあるところから当てにならない。

最後の最後は己自身に刻み込んできた法そのものしかないのだ。

私は今神々に頼ることすらやめようとしている。

生か死か、である。