最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

相容れぬ存在同士の激突

武漢コロナ自体はさほど恐ろしいものではないのかもしれない。

しかし、時代の節目になったこと自体はもはや疑いようのない事実である。

ポイントはそこである。

それにもかかわらず、この期に及んで未だに旧態依然とした考えに囚われている者達がいる。

それはどういう考えか。

自分だけよければいいという考えである。

それをビジネスという言葉の衣で覆う者達の考えである。

無知に乗じて契約という刃で刺し殺す考えである。

 

これからの時代は一方的に利益をあげていくことが間違いであることを自制的に知っていく必要がある。

自制的というところがポイントである。

これを権力的に行うならば、人々の魂の成長は全く見込めない。

公務員のように制度的に守られている者達による規制によっては実現できないことである。

外形がどれだけ整ってもダメだということだ(共産主義批判)。

これからは個々人の魂からの変容が必要な時代なのである。

 

覚醒した者が増えていけば奇妙なことが起き始めるだろう。

似たような家に住み似たような服を着て似たようなものを食べている人が、自分と同じだと思っていると理解できない事態に出くわすだろう。

その人が神仏と共にあるならば、すべてにおいて全く違うのだ。

その人は平気なのに私には耐えられないというアレルギー反応のようなことを経験するはずである。

五感識に頼り自分の状況に安心しているとそういう憂き目にあう。

見た目では分からないことを承認しない限り智慧は六道を超えることはない。

今はその岐路にあるといってもいい。

 

これからしばらくは新旧の激突が続くだろう。

恐怖と不安から逃れられない者達がさらに増して残虐なことをするだろう。

持戒と読経が継続している者は性エネルギー昇華の実践は試す価値がある。

これは性エネルギーを活用したスウィングバイである。

これが大きな守りになる。