最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

家の構造と心の癖

毎日掃除をする。

心の癖というのは家の構造と似ているとつくづく思う。

埃は毎日知らぬ間に落ちているが、落ちやすい場所はだいたい決まっているのだ。

現実の受け止め方などは心癖があると思う。

安倍首相が動画を出して炎上しているそうだが、感じ方がそもそも違うのだ。

ちなみに、私は首相は性格が鈍いのだろうと思っている。

皮肉にもその鈍さこそが政治家の資質というのならば、政治家はAIに置き換えた方が国政の効率は上がるだろう。

 

戒定慧により心の癖が自覚できれば、改革は可能である。

仏法という設計図はあるのだからあとは愚直に実践しそれを智慧として自分の好きなように組み上げていけばいい。

ここにはそれこそ大宇宙的な自由がある。

ただし、心というリソースも実は物質と同じ様に傷つくものであることは知っておいた方がいい。

治らないということもあるのだ。

大失恋の痛みなどは一例だろう。

うつ病などは心のガンといってもいいだろう。

 

どうすればよいか。

経験上、心の痛みはそれはそれとしながら日々修行を重ねていくことが大切だ。

部屋に壊れた物がひとつくらいあったとしても他が清潔に保たれているならば徐々に気にならなくなってくるものだからだ。

そして、葛藤と修行のせめぎ合いの果てに、新しい認識の視点が知恵として生じた時には、様々克服への道筋がついてくるはずである。

大切なことは、苦しくても修行を絶対にやめないことである。

 

辛いことが起きればもちろん心は散らかる。

普通に生活していても心は散らかる。

しかし、仏法がある。

その都度反省しきれいにしていく道があることに感謝である。

掃除と片付けは慚愧懺悔の道である。

驕り高ぶるところには清浄な霊気は絶対に流れないのである。

性エネルギーを何に用いていくべきか。

もはや自明のことである。