梅雨の時期に発症者が増えるのは端的に疲れだろう。
因が疲れという縁に触れて芽を吹くのである。
疲れた身体で欲望を満たそうとするから失敗する。
新宿の夜の街などは私は不要だと前々から思っている。
しかし、酒を禁じればよいかといえば実はそうではない。
夜の街を規制すればよいかといえばそうではない。
人類が悟りきらない限りあのような街はどうあっても生じる。
これは道理だ。
外に責任を求めても意味はないのである。
すべては因果律に基づいた自己責任である。
智慧をもって歓楽街を消滅させていくしかない。
歓楽に取りつかれた者達の反動が夜の歓楽街へ向かわせているのである。
因と縁が結合成就していくときの心の在り様は偽れないのである。
それがまさに因縁勢力となり自己の意志すら凌駕してしまう。
本人たちは自分達の行動がバカげていると思っているに違いない。
因果律を見据えて行動すれば感染する率はぐっと下がるのである。
思いつくべきは持戒である。
そして、戒をしっかり守ることはその計算機を手に入れたようなものなのだ。
五戒を意識して自発的に守るだけで災難はかなり遠ざかる。
例えるならば計器飛行が可能になる。
善人の場合、失敗の原因はほぼほぼアルコールではないだろうか。
酔って気を大きくしたとき自由なお金があって気になる異性がそばにいたりすれば誰だって失敗する可能性はある。
それが独身同士ならよいが不倫となると一生涯の傷になってしまう。
恨みを買えば仏道修行においてはかなりの妨げになると考えてよい。
だから不飲酒戒があるのだと私は思う。
ちなみに、真の邪悪は酒も飲まないかもしれない。
酒はよくないが酒自体はただの薬理作用がある物質にすぎない。
悪因の起点をよくよく観察していくことである。
突き詰めていくと無明にあることが分かって来るのではないだろうか。
迷いである。
迷いを破るためには戒定慧の修練のみである。
疑心を破るためには三昧の境地に至るほど熱中する時期が必要である。
若いうちから打ち込んでおかねば通常は間に合わない。
歳をとってからでももちろんやらぬよりやった方がいいが、少し後悔するだろう。