教育とは人格的感化である。
しかしその奥義が説かれることは少ない。
キャラクターに頼るな。
真摯さのみを頼りにせよ。
利他の核心とは奮闘することである。
己の課題から離れ他者中心になることでは断じてない。
自らに奮い立つ姿にこそ人は感動を覚えるのだ。
それが感化である。
人にみせるために行った行為ではその感動は生じない。
そして、御仏を中心にしてはじめて奮闘することが可能になる。
ここである。
しかし、ここをしる者は少ない。
教養という観点からのみではそれを察することは不可能であるからだ。
自らを法と共に歩ませる貫く精進こそが道となる。
ただ成長あるのみである。
その過程において満足し安心を得ることも確かにあるが、その功徳すら次の成長にまわしていくことが菩提道といってよいのではないかと思う。
戒定慧と実践における必勝の相はすでに示されている。
がむしゃらなことをしていてはいけない。
地獄とは何か?
それはすなわち、無意味な努力であろう。
多くの者が仏典と共にあって仏典を無視している。
戒をよく保ちよく祈って事にあたる者が敗れることはない。
それを諭すことが教育である。
無意味なことから引き揚げてやるのだ。
その人の個性は最後の最後に現れるのだ。
大きな光となって。