最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

過去の痛手と未来への不安からくる襲撃に備える

過去の痛手が未来の不安の繋がっている。

過去か未来かにとらわれると今を失うことになる。

今を失うことはすなわち集中力を失うということに通じていく。

これが負のスパイラルの大元である。

 

戒を外れて欲望を優先させたくなることがある。

余裕が出てくるとそうなりがちであろう。

しかし、本当はその余裕こそがいわば「今」への投資のための原資である。

その投資サイクルを規定するために戒定慧がある。

 

戒を外れた定はない。

定のないところに智慧もない。

この3点は順次であり同時である。

 

自分にとって丁度良いところをしっていかねばいけない。

馬力が出過ぎても出なさ過ぎても失敗する。

静かな熱さとでも言おうか。

そういうものがロングレンジに対応しやすい。

構えの型のようなものは個性があるのかもしれない。

 

それでも続けていく過程で必ず体調などを崩す時はくる。

それは人が人であることである。

また、立ち止まるべきときである。

必ず反省点はあるのだから調整せよということである。

調整しなければいけない。

 

結局、故意に悪へ向かうことがいけないということになる。

生じた活力を肉欲のまま向けていくことが悪であろう。

反省なく肉欲のままに行動して魂の力が尽きれば過去と未来から巻き込まるが如く激しい苦痛を受けることになる。

自らまいたものもあれば他者から浴びせられるものある。

結果、今を失うだろう。

 

今を失わないためにはやはり怠らず励まねばいけない。

しかし、戒定得があるならば安心してよい。

安心が生じる。

安心して今に集中していくことができる。

今の時代においてこれ以上に幸福な道はないだろう。