最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

立派な生き方をされる方々に感謝

さきほどNHKをみていたら、3歳の子供が台所で食器を洗っていた。

どんな番組だと思ってしばらくみていたら、耳の聞こえないご両親の家庭の子供であった。

小さな手で手話をやり父母を精一杯助けている。

私は胸がいっぱいになってしまった。

ご両親も立派だ。

 

自分の苦労ばかりが気にかかり自分の不幸な未来ばかりを想像して悲嘆にくれているようではこの3歳の幼児にすら届かない。

日々触れているはずの仏典の一節を目でみて口で唱え耳に感じているはずであるにもかかわらず、何も分かっていないという愚かさである。

 

お手伝いをした3歳児がうれしそうに父親に抱きついていく。

あの素直な表現が恋しい。

あのようにありたい。

 

奪われたと思えば恨みもわくのだ。

これは釈迦が端的に示されたところである。

もうここは悟っていかねばいけないところである。

明らかにして。

 

いいことをしたらいっぱい神様に甘えていこう。

それが安心というものではないだろうか。

 

4月に入り新しくなる。

私も心機一転していきたい。

性エネルギー昇華の確度をあげていきたい。

読経掃除、不飲酒戒、もちろん葛西りまちゃんと船戸結愛ちゃんの供養も続けている。

彼らの守りを受けて今があるともっと深いところから思うことが出来れば、心はもっと子供のように開いていけるはずなのだ。