最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

予想外という逆風が常になる時代

アメリカの議会で日本を批判した後に日本の議会で演説する。

この流れから学ぶ必要がある。

日本人が知らない理路があるのだろうか。

もしくはただのミスか。

それとも背後の支援者の意向か。

意味不明であろう。

 

ともかく、これからの時代は予想したことは外れていくと考えておいてもう間違いない。

私は昔貧しい国の外国人が一年先の未来を考えずに目先の利益ばかり求めていることを疑問に思った時期もあったが、これは半分、私の平和ボケであったと言わざるを得ない。

貧しくて安定していなければ3日先くらいの未来しか見通せないのも頷けるからだ。

半年先などどうなっているか分からないではないか。

これからの日本もそういう人間が激増していくだろう。

 

とはいえ、目先の利益を負うことは大概の場合、今を瞬殺することに繋がる。

その意味では、遠い未来の平和を念じておくことが種まきになる。

その未来の種を守るために今を生かす。

これが貧しくとも貧しくならない行き方である。

私はこの道を選ぶ。

 

常に逆風。

真正の阿呆が自己中心的な信義を振りかざして暴力を正当化していく。

予想もしないやり方で侵略を進めていく。

予想もしない理由を追加して圧迫を強めてくる。

予想もしないタイミングで約束を破る。

どう対処していくかだ。

もう出てくる数字は全部ウソだと感じ取った方がいい。

何がデータエビデンスだという話である。

顕れたところを追ってももはや実はない。

 

より密の方向でいくことがむしろ現代的である。

今を感じ取ることに最も相応しいのが性エネルギー昇華であろう。

これだけは害されておらずそのままである。

瞑想といおうがどういおうが言葉の問題は捨てて、己の性エネルギーと共にあることを幸せに感じたい。

これが命である。

毎日湧き上がって来るもの。

まさに精力である。

基礎中の基礎だ。

梅の花や桜を愛でるように付き合っていくことがコツである。

これを必要以上に消耗させることはやめた方がいい。

 

仕事については最も古典的で通説的な型がよいだろう。

八百屋は八百屋らしくといった感じだ。

らしさのひな形というものはどの業界にもおそらくあるに違いない。

私はそのひな形におさまることが最も優れた戦略であると考えている。

まずあり様について過失がない。

またどんな予想外の事態に陥ったとしても後悔がない。

これでダメならあきらめがつくという型。

これにおさまるべきだ。

私はそういう方向ですでにコンパクトにおさめる方向で動いている。

所詮は俗世の仕事である。

そういう一種の諦めがあることで逆に精魂を込めていけるのではないだろうか。

本当に神聖なことは仕事の奥にある。

イノベーションといったような横文字を使う文章は読むだけ無駄だと私は思っている。

迷ったら基本に戻るのだ。

今の時代に必要なことは合格点70点を死守することである。