最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

尾崎豊は酒で失敗した

繊細な人は酒をやめることはおすすめしたい。

 

お金がかからず暮らしが楽になるということもある

しかし、それはただの付録のようなもので本体はやはり粘り強さが手に入ることだと思う。

私の場合はフルマラソンを走れるほどに体力がついた。

日々の仕事のための勉強も楽しい。

朝夕の読経の継続も無関係ではない。

総じて、様々な苦しみから立ち上がるための時間がかなり短縮されている。

これは功徳そのものであろう。

 

 

もともと個性として鈍い人がいる。

そういう人はアルコールで酔ってもあまり関係ないのかもしれないが、繊細な人はやはり酔ってはいけないと私は思う。

傷口が広がる。

 

一例としては最近ではウィルスミスのあのピンタである。

あれで私は彼が我々の側の人間であると確信したのだ(笑。

ただ琴線に触れたのだろう。

事の大小などない。

すべてが関係なくなった。

単純に愛情から出た一発である。

ピンタですんだのは運がよかったのだ。

あの状況でもし酒で酔ってしまっていたらグーだったに違いない。

 

繊細な人間にとっては飲まないことはそれだけで御守りになる。

酔えば隙が生じて感性がそのまま行動に出てしまうことを抑止できなくなる可能性が高まる。

 

繊細な人は肉体の傷とまさに同じく心の傷も痛むことをよく知っているからだ。

どんなことがあっても暴力はいけない。

繊細な人はむしろこの粗雑で即物的で短絡的な言葉の暴力を許せないだろう。

しかしそれが社会の掟ということになってしまっている。

 

言葉だけでなく仕草や表情、距離などから感じ取れてしまうことがある。

しかもその一つ一つが己の未熟さを伴ってくる。

リアクションの薄さに悩んだり、マウントをとられたように感じて鬱陶しくなったり、自分と他人との間の境界が曖昧になると苦しくなってしまう。

 

深入りすることが勇気だと酔って勘違いすると魔界に陥る。

酔って愛の告白をしたり酔って相手を激励したりすると翌朝に大恥をかいてまた悩むのだ(笑。

 

酒をやめて等身大の自分と付き合うようにすると極端にいかなくなる。

そうすると人間関係もよくなってくる。

本音で生きることの感覚が掴めてくる。

こうなってくると「たまには飲んでもいいかな」という発想自体がなくなる。

本音で生きることが一番楽しいからだ。

そもそも酔って増幅させる必要があることなど何一つないのだ。