最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

魂をとにかく磨き抜くことが今生の仕事である

久しぶりに自分の書いたものをざっと読み返している。

今年一年の反省。

 

武漢コロナがなければマラソン関係の記事がもっと多くなっていたはずである。

環境に決定されてしまった感がある。

仕事もかなり翻弄されたこともあり走るどころではないという精神的プレッシャーとの戦いでもあった。

ただ、走る習慣自体はなんとか首の皮一枚繋がったというところである。

 

読経修行は無事に朝夕欠かすことなく貫徹できた。

葛西りまちゃんと船戸結愛ちゃんの供養もきちんとしている。

しかし、これらは今では責務ではなくこのおかげで自分があるという気持ちである。

不飲酒戒も次は(確か)10年目である。

 

掃除はやはり教えそのものである。

これはこの一年でさらに深まった。

いつも同じ視線から眺めていると永遠に自覚できない汚れが残ってしまう。

時には低いところや高いところから視線を移して部屋全体を眺めてみると思わぬところに埃が積もっていることが分かる。

埃を取り去っていくことと心の汚れを取り除いていくことは同じである。

生きれば汚れることもある。

他を傷つけぬように生きることは大切であるが、もし何かチャレンジの結果として汚れるようなことがあったならば反省し掃除していけばいいだけである。

汚れることを恐れることもまた間違いだと思う。

言葉だけにとらわれていてはいけない。

無謀はいけないが、恐れるところに成長はないからだ。

ただただ状況を真摯に受け止めて常に怠らず励む。

これが教えの実践の本質であると私は確信している。

 

成長をのぞむならば今以上に自分に厳しくしていく他ない。

来年はもっと厳しいだろう。

その厳しさに立ち向かうための性エネルギー昇華である。