歳を重ねるほどに正味が問われる。
霊的な意味の青年でいられるだろうか。
魂の瑞々しさが大切なのだ。
たとえば運動をする。
たとえば勉強をする。
どんなことでもだ。
歳を重ねるほどにどうしてもその人の現状がみえてくる。
真価がみえてきてしまう。
若い頃は、肉体優位だ。
そして肉体の若さに頼っても余りがある。
それはギフトともいえる。
差は見えにくい。
怠惰な者も鍛錬をする者も大きな差はつかない。
霊的な瑞々しさは育てるものである。
様々な感情を学んだ果てに力強く芽生えてくる意識を育てていく。
この意識に目覚めた者だけが肉体の老いというものに対して正気を保つことができるのだ。
また、肉体の強さというものに対して油断しないことができるのだ。
性エネルギー昇華の実践というものは、歳を重ねるほどに大切になってくる。
それは肉体を脱ぎ捨てていくための貴重な準備期間ということではないだろうか。
霊性というものを感じ取れるまで浄まってくると、そう感じる。
魂がよく鍛えられている。
やはり、そういう人が偉大なのである。