最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

独身の方が勝利に近いところにいる

結婚せずに独身でいられる人というのは、勝利者たり得る。

これにはやはり十分な理由がある。

物事というのは縁によって決定されるわけだけれども、推進力は常に魂の成長である。

多くの者が結婚をするわけであるが、それは、結婚生活が魂を磨くからである。

縁が作用して、ある意味やむなく、男と女が結びついていくのだ。

このようにしてみると、独身であるということはむしろ結婚する必要がないということでもある。

縁があっても結ばれない。もしくはそもそも縁がない。

そこにはむしろ深い意味があると考えた方が自然ではないか。

 

結婚生活が20年も過ぎれば男女の関係というものではなくなりむしろ己の肉体の一部というか運命共同体のような関係へと変化していく。

そして成長の結果として欠落すべきものが欠落すると意識が己の人格へと還っていく。

家族はいるわけであるけれども、結局最後の最後は独身に戻っていくだ。

 

前世の課題というものはあるのだろう。

結婚生活にそれが如実に現れる。

男性の中には己の中の女性を感じる者があるだろうし、その逆もあるだろう。

育ちの差から許し難い壁というものをおそらく誰しもが互いに発見するが、その源には個人的なものではなく血族を巻き込むような根深さを感じることもある。

いろいろ許していくしかない。

追い詰められて皆そうしているのではないだろうか(笑。

それが成長である。

 

娘も親も息子の親も分かっていて黙っていることがある。

確かに結婚は個人だけの合意だけ決める事が出来る。

しかしそこには結婚生活のことは何も語られていないのだ。

親族同士の結びつきからとんでもない負荷を背負うことになる、それが結婚生活であるということを(笑。

魂が成長するわけである。

 

 

独身の人が勝利者たり得たいならば、功徳を積むことに専念することではないだろうかと思う。

自分にないものを数えることなく、雑念少なく、煩うことなく、ただ利他的な行動に終始することができるならば、真の大富豪になることができるのではないだろうか。

前世で満身創痍の成長を遂げたが故の今生での安定でありもしかしたら仕上げの段階にあるのかもしれない。