最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

正月は胸の古傷が痛む

正月は胸の古傷がうずく(笑。

若い頃、アイデンティティを喪失していた時期、私は正月に親戚に会ったりすることが心底嫌だった。

似たような境遇に今ある若者は多いことだろう(笑。

私は実はいまだに明けましておめでとうございますというのが苦手である(笑。

 

また、大人になって環境が変わってもまた違う理由から苦しむ者がある。

たとえば義理の実家に帰りたくないと悩む者も多いはずだ(笑。

そう、あなたは正しい。

むき出しの家族愛が常に美しいわけではないのだ。

自分の身内に引っ張り込む節操のない家族愛は有害である。

実家依存の人とは絶対に結婚しない方がいいぞ。

だいたいそういう人はその親もおかしい。

 

 

金平糖のような魂が互いにぶつかり合ってだんだん角が取れ行く。

魂の成長とはそんな感じであるかもしれない。

最初はどうしても苦しい。

丸みが増してくると自らその価値に気付き自ら丸みを増すように精進するようになる。

ここまで来るとやっといろいろ認識が変わってくる。

丸みが極まってこれば理不尽こそが有用で貴重な砥石となるのだ。

きてくれたな!となってくる。

これが独身の確立である。

 

さて、私の近況である。

みそかの夜は子供と近所の神社仏閣へ詣でた。

鐘もついた。

これは初めての経験だったかもしれない。

やはり地元が大切だとあらためて感じた。

本堂から霊的な息吹を間違いなく感じた。

子供の頃から見守られて育ってきたのだ。

自分の信心の形というものに固執しがちであったことを大きく反省した。

 

正月2日に初ラン。そして3日の今日はさっそく草取りだ。

 

今年も昨年から続くことを盤石にしていくことがテーマになっていくだろう。

霊的なことは大切であるが、それ以上に大切なことはより具体的に生きていくことだ。

霊的なことと物事を曖昧にしていくことは非常に大きな危険を伴うように思う。

それは進歩を遅らせる。

掃除、片付け、この辺りが迷った時の本当の御守りである。

しっかり努力していきたい。