最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

鍛錬こそが絆を深める

ジョガーとすれ違う時、お互いに軽い会釈があるととてもうれしい。

理のうちにあって出会うというか、必要にして十分な関係性が美しくもある。

そしてそれは刹那的ではない。

彼も明日走るだろうし、私もまた明日走るのだ。

 

世間は能書きで溢れかえっている。

しかし、その弊害は己の身の置き方次第で回避できる。

励むは生の道、怠るは死の道。

いかに今という一瞬を理のうちに沈め込めていくかだ。

 

己の持つ可能性を閉じてはいけない。

勝手な自己イメージこそが煩悩なのである。

能書きよりも行動である。

何千冊と本を読もうともその学びが生として輝かねば魂は満足されない。

その説を運用する。

事実を適用して判断してみる。

ここにきてはじめて動きがあるといえる。

曖昧さを絞り切ることだ。

一振りの名刀のように。

 

性エネルギー昇華はやって当たり前の時代になりつつある。

問題はその昇華先である。

私利私欲をただ肯定するものもあれば、良心と格闘するものもある。

世にいるインフルエンサーたちを観察しているとみえてくるものがある。

 

宇宙をもった者と激突することになるかもしれない。

それに備えているだろうか。

そこで己の責務を全うできないならば、今生は失敗であったという結末になるのだ。

優しさだけではいけない。

強さである。

強さという言葉うちに己の品格のすべてが込められていくだろう。