最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

性エネルギーを昇華することで暴力を打ち破る

霊気が澱んでいる。

 

ウクライナ問題が提起しているのは、結局、暴力の肯定である。

自由主義だの民主主義だの理想をいったところで暴力の裏付けがなければ意味がない。

この主張に対する反論が難しくなっていることが問題の核心である。

西側陣営は後退しつつある。

 

筋トレをしよう。

この澱みは四散させることできる。

今やれることは己の熱量を高めておくことである。

これが本当の防災である。

ここを知識だの理論だので乗り越えようとすると間違いなく失敗する。

年齢は関係ない。

筋トレをして生身の弱さに直面することが大切なのである。

今すぐ試しにスクワットを30回やってみて欲しい。

それだけでも少しよろめいた自分に気が付くはずである。

 

暴力、のぞむところだと思っておきたい。

私は枕元に必ず自分のズボンの革ベルトを置いて寝るようにしている。

私の武具である(笑。

ともあれ、暴力を観念だけで否定することなく実際に準備をし展開しておくことだ。

肉体的にも精神的にも。

あとはもうその時である。

 

人が人を支配するシステムは間違っている。

プーチン習近平もはじめの一歩で間違っている。

人は権力ではなく理に従うのであり、これは人生を追求すれば到達可能な一つの境地である。

共産主義のように唯物的に人を動機づけることで平和な社会が成り立つと考えるのは幼い者の妄想でしかない。

そして、西側陣営はこれ以上のウソをやめろ。

富の偏在を肯定しながら民主主義を語ることは背理である。

 

 

ところで、性エネルギーはガソリンや灯油のようなものである。

備蓄しているだろうか。

無駄に使っている時ではない。

飽食の時代が終焉を迎えつつある今、そろそろ性の価値を見直さねばいけない。

健康をリロードできる機会は減っていく。

放逸な者は生き抜けない。

そして、何より性エネルギーの昇華先を明確にしておくべきである。

その明確さが力に形を与えるのだ。

暴力との差はそこにある。