最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

逆風の中において整えていく

冬のジョグは風との戦いだ。

前からくる強風は精神にもくる。

そういう時は風に体重をあずけるようにして動きをコンパクトにおさめていく。

 

これは今すべての局面で並行的に応用できるだろう。

もう必要なものだけに集中していかねばいけない。

余計なことをすればそれがそのまま抵抗となって自分に跳ね返ってくるからだ。

 

もう健康であることを前提にしてはいけない。

一病息災ならかなりましであると考えを変えるべきだ。

二つ三つ病気を抱えていたとしてもそれが普通である。

だから、健康こそが宝であるという言葉をもって絶望してはいけない。

ここではもはや健康でなくてもやらねばいけない。

戦場である。

 

朝起きて夜寝るまでがひとつの一生である。

霊体を整え魂を磨き上げる。

これが至上の課題である。

辛いことがあったらそれを砥石と見立てて心を磨いていく。

うれしいことがあったら功徳を静かに他にふり向けていく。

小さな成果であっても常に感謝して正しく希望とする。

これができれば様々な心身の痛みにも向き合えていくだろう。

いや、向き合うためにはそうするしかない。

 

災難の本質は常に最愛の人に訪れるとういことである。

自分に降りかかる苦難を想定しているようでは甘いというべきだろう。

それが後悔しない生き方かチェックできる性を人は持っている。

人である以上「出来る範囲」という限定は常にある。

この限定を謙虚に受け止めればこそ、悪癖にかまうことの愚かさに気付けるのだ。

与えられた時間は有限である。

 

精一杯自分を愛そう。