最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

後悔せぬ生き方

足りない状態というものは時に人を活かす。

しかし、足りない状態は緊張状態でもあるから、長期間その状態が続けば消耗する。

満たされることも時に人を活かす。

しかし、満たされることは停滞状態でもあるから、長期間それが続けば諸々の機能不全を起こす。

 

激しくするときと静かにするときといったようにこれはリズムでありバランスである。

白黒つけたいという欲は、自らを生きていないという実践不足からくる。

自らを生きるようになると、白は白のまま黒は黒のままということはないということが分かってくる。

白にいたったらその奥に黒がみえるようになる。

黒にいたったらその奥に白がみえるようになる。

そして、その時々で中庸を選択していくようになる。

それは全力を出す事でもあり脱力する事でもある。

 

身口意を浄めるという第一順位の実践は、これらのリズムにおける中庸の実践において活きてくる。

肉体はいずれ朽ちるのであるが、朽ちる寸前ひと間の最後の呼吸のときにおいてその実践のすべてが凝縮されていくだろう。

それは後悔なく生きてきたという満足というよろこびと重なるに違いない。

 

中庸の実践とは智慧である。

明らかな智慧に安住し動かない。

不変というのはそこしかないように感じるのである。