最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

もう一歩踏み込むことで智慧になる

人が飽きてきそうになってからが踏ん張りどころだ。

何事でもそうだ。

そこから様々決定的な紙一重の差がついていくのだ。

そしてその差は決して偽装できない。

 

憧れることが人生ではない。

そのように自らなっていくことが人生である。

斜に構えている暇があったら魂の向上のために命を使うべきだ。

言い訳は無用である。

 

何が大切なのか。

これは実践により体得していく他ない。

視覚の調整で絵が飛び出して見える3Dアートを体験したことはあるだろうか。

あれと同じようなものである。

工夫によりコツを掴めば少しずつ分かるようになってくる。

 

今のご時世においては正気を保つことも目標に値するだろう。

肉体的な感覚への執着を離れ正しい祈りを保持することに努めること。

それが常楽我浄への道である。

 

道を歩もうとする者は紙一重の差を妥協せずに乗り越えていかねばいけない。

他と同調して安心してよい時はないのだ。

御仏と通じるためにはあともう一歩が必要なのである。

その一歩が無我の境地ではないだろうか。