最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

智慧を眼を開くことで景色は変わる

梅雨のシーズンが近づいている。

衝撃に備えておくべきだ。

私の予感ではここからだ。

というのも、武漢コロナ疲れがそろそろ出てくるところに梅雨の時期特有のストレスと寒暖差ストレスが加わるからだ。

しかも、もう次の緊急事態宣言を出せるだけの余力は国には残っていない。

何事も7割8割で十分だ。

出来たことに感謝だ。

出来ないことは保留でよろしい。

量ではない。

速度でもない。

ただ、ひとつひとつに真心を込めていく。

生き延びるというのはそういうことをいうのである。

 

断酒などの戒を守り心に定がある者であれば武漢コロナに害されることはない。

新しい生活様式とは、智慧の眼を開いていくということである。

智慧の眼を開いていけばすべてが宝である。

そういう生き方に徹していくことが神仏に帰依することである。

このブログの読者であるならば、今後どのような者が取り残されていくかもう見えているだろう。

 

私は今日は因縁あるそこそこの金持ちと偶然再会した。

以前よりでっぷりと腹が出ていた。

よくよく観察していると全く人望がない様子であった。

軽く挨拶だけしてその場を退いたが、私はもう巻き込まれることはないと確信できた。

断酒と日々の読経と性エネルギー昇華である。

この功徳が本当に伊達ではないことが改めて証明できた。

 

7割8割でよいというのは打算的な指摘ではない。

幸せの根本に照らした場合の俗事についての指摘なのだ。

お金だけでは絶対に幸せにはなれない。

今日はそれを改めて確信したのである。