高校野球の中止になり、若いプロ野球選手達がそれに対するコメントを出していた。
(メディアに言わせられていたのだろうが)違和感を覚えた。
なぜならその若いプロ野球選手は自らは甲子園に出場し優勝の経験もあるのである。
気持ちなど分かるはずがないではないか。
宗教家が厳格に禁欲する理由と通じるように思う。
やはり苦しい体験だけが共感を生むのである。
相手の立場に立つためにはどうしても追い詰められるような体験が必要なのだ。
体験は大事だ。
よい思いをして一見すると得をしているようみえる。
しかし、いざ自分自身が本物の道に踏み出そうとすると恵まれていると思われた境遇が足かせになることがある。
徳太りというやつである。
辛い、寂しい、苦しいという体験はウェイトトレーニングのようなところあって、一つ一つをしっかり正しいフォームで効かせていくと魂は強靭になっていく。
魂が強靭になって来ると言葉が相応の磁気を帯びてくる。
その磁気が相手の魂に働くのである。
若いうちは苦労は買ってでもしろというのはそういう意味で一理ある。
ただし、予期した苦労というのは苦労ではないかもしれないから買う必要はないだろう。
目の前の状況から逃げないというスタンスで十分である。
そして一つ一つ実績を作っていくことだ。
諸々の修行があるが、性的禁欲が注目されるのは、その難しさを誰しもが承認せざるを得ないからである。
若いうちから性エネルギー昇華の実践を全うできるということはやはり凄いことである。