甲子園球児たちの涙は美しい。
中止になって悔しいに決まっているが、しかし、必ず将来の糧になる。
よく失敗は成功のもとという。
しかし、ほとんどの人の失敗は本気でぶつかったうえのものではない。
失敗を恐れてどこかで手を抜いたりしてしまっているものだ。
それは正確には失敗とはいえない。
むしろ敗走である。
真剣に野球を頑張ってやっと手に入れた切符が、まさか武漢コロナのために使えなくなったのだ。
誰も予期していなかった。
選手一人一人にいろいろなドラマがあったに違いない。
筆舌に尽くし難い苦労を背負っている子もいただろう。
それなのに、栄光の直前で、まさかの原因で、これまでの努力が報われなかったのだ。
彼らが流す涙が本物でないわけがない。
努力が報われないことはたくさんある。
しかし、それでもじりじりと歯を食いしばって前に進むしかないのだ。
周りにはあきらめてしまった人間がごまんといる。
打算的なことでからかわたり、足元をみてなめられたりするこもある。
正しい目標を持って日々を正しく生きたとしても、うまくいかないことはたくさんあるのだ。
神仏に愛されても人にバカにされることはあるのだ。
魂を磨く中で、意志が強靭になっていく。
定というものが理解できてくる。
そして、なるほど、すべてが自分自身の問題であるということも分かってくる。
そのうえで、何度でもチャレンジを繰り返していくのが人生である。
本気でぶつかった時だけ智慧という仏果をいただくことができるのだ。
智慧がなければ己の疑心を破ることは絶対に出来ない。
疑心を破らなければ仏性をしることは出来ないのである。
高校球児たちは、確かな智慧を得るだろうと思う。
私は彼らに日本の未来を託したい。
私も全力でぶつかっていくぞ。