最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

目の前の一つ一つが飛ばすことのできない試練である

結局、ご飯を食べるときと同じだ。

一回ずつ食べられる量を口に運んでいくしかない。

 

うちに子供がいるとやることが増える。

食事の準備は手間がかかる。

宿題の面倒もみないといけない。

すべてがイレギュラーである。

家事全般について覚悟をしないとストレスであっという間にメンタルがやられてしまうだろう。

 

マルチタスクになるのは当たり前だ。

マルチタスクは集中力が落ちるからやめた方がいいなどという人もいる。

これを信条にしている人は在宅勤務は地獄でしかないだろう。

しかし、これからは効率を求める時代ではない。

真心を込めていく時代である。

ここに気付いている人はリズムを変えて調整できているはずである。

信心信仰の観点からすれば、一つずつということである。

どういう順番であっても逆らわない。

もしそれで一日が終わったとしても御仏の観点からすれば正解である。

一つ一つ出来たことに感謝していく生き方が最上である。

 

ストレスで頭がいっぱいになることは信心信仰をしていてもある。

夫婦げんかも当然にある。

しかし、心の切り替えは速いといえるだろう。

何日も引きずるということはない。

それは人間情に頼らないからである。

 

すべての事象は護法善神様からの試練だ。

負けそうになるような経験をあえてさえてくださる。

信を鍛え魂の器を拡げるためにはその経験が絶対に必要だからだ。

体験のみが言葉に力を宿す。

そう簡単にはかっこよくはいかない。