最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

この大自然の説法に集中していこう

つい事物を人間中心に評価する。

これが躓きのもとになる。

そして、人によってはさらに業界中心になる。

自分の生きる世界を中心に個我を主張する。

学問の限界もこの辺りにある。

仏性は何重もの歪みに取り囲まれているのである。

 

大自然は、もう無理だぞと教えてくれているように感じる。

強風や寒暖差が肉体の限界を感じさせてくれている。

武漢コロナが道理を表現してくれている。

病になれば肉体的な欲望はすべて水泡に帰すことを教えて下さっている。

どんな日常を送れば、御仏にお応えできるのか。

この時にスポーツを頑張ればいいいのか?

経済に貢献すればいいのか?

生き延びるってどういうことをいうのだ?

 

明日死ぬかもしれない。

本当に死を一つの変化と解かっているのか。

声聞縁覚でも大苦悩を生じると経典にはある。

自分の境地は?

 

正は正、邪は邪なのである。

清濁併せ呑むなどいうものは平和ボケした拝金主義者の戯言に過ぎない。

大自然の説法には微塵の妥協も打算もない。

今までと同じことを繰り返して違う結果は望めない。

一刻一刻を正す。

変えていくのは自分自身なのだ。