最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

寺の僧侶について思うこと

実家がお願いしてきた僧侶は、肺を悪くされて代を譲ったとのこと。

肺が痛んだのはおそらく線香だろうなと推測する。

タバコを吸われる方ではあったけれども、線香の方が煙の粒子が大きくよくないのだ。

職務を全うされたなという印象である。

 

さきほどニュースで僧侶が覚せい剤使用で逮捕されたとあった。

形式的には戒律には反しないが、実質的にはどうだろうか。

 

修行してんの?と聞きたくなることはある。

昔のお寺は領主でもあったから地代が入ったが、今では経済的な活動が必要なので、俗っぽくなることはある意味仕方がない。

yotubeで語る僧侶を私は悪いとは思っていない。

しかし、俗すぎるだろとため息がでるような事案が頻出している。

特に訴訟沙汰のニュースはうんざりする。

 

今どき言葉だけで感動する人間はいない。

庶民の教養が向上した結果権威が死んだからだ。

今は行いと言葉が相当なレベルで一致したときにしか感動は生み出せないのである。

本当に厳しい時代になっていると思う。

 

宗教的な行も確かに重要である。

しかし、これからの時代の僧侶は、教えに即した理想的な生き方そのものを示す必要があることはもう間違いない。

できない言い訳ばかりする説法はもう時代に合っていない。

他の模範となってはじめてお経も活きてくる。

 

9割以上の宗教家がたったひとりの尾畠春夫さんにかなわないという無残な結果を目の当たりにしているはずである。

立ち上がるところから始めるしかないのだ。