最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

魂の圧を高めてそれを善用する

いい人になろうとする。

その根に何か恐れがあるならば、その動機は邪だと考えてよい。

なぜそう言えるか。

無理をすればまず憎しみに変わるからである。

その恐れこそが迷いである。

 

多くの人が他者からの批判を恐れるがために無理をしている。

それ故に他者の過失を責め立てることになる。

そして己の正義で己が滅びてしまうのだ。

 

あまりペラペラ喋らないことだ。

性エネルギーを消耗する。

地味にみられるくらいでちょうどよい。

(どうだろう。

その例外のひとつは内閣総理大臣か。

リーダーの仕事は、仕事だけではない。)

 

他の喜びを自分の喜びとしていく。

大乗の教えによればこう昇華させていく。

損したように感じる心を制御するための最も基本的な型である。

そもそも理不尽が前提にある。

決まれば楽々と進むことができる。

 

他の喜びを自分の喜びにしていく。

しかし、これはこの型をしる悪党には通用しない。

世の中には、人を人と思わずに利用する人間がいる。

そのような人間といかに関わりを持たないようにするかということはほとんどの人は語らない。

(商業系自己啓発セミナーの講師などは非常に危ういと考えてよいだろう。

会社の研修などで行かされるというならばともかく、自発的に行くべきではない。

なぜならば、この類の研究は金をかけるべき問題ではなく命をかけるべき問題だからだ。)

 

身なりや肉体の鍛錬は非常に重要である。

なぜ屈強な軍人をからかえないのだろうか。

そこにある心の働きの底は甘くみてはいけない。

なめられやすい人は、魂の圧を鍛えていくことがとても大切だ。

性エネルギー昇華はその圧そのものである。

そして肉体の鍛錬を抜きにした性エネルギー昇華はあり得ない。

肉体を鍛えれば身なりも整う。

 

やばい奴は圧の高い者から遠ざかっていく。

正しく努力する者は圧の高い者から学んでいこうとする。

 

結局、ひとつ補って完成するのだ。

圧を高めて他の喜びを自分の喜びにしていく。

これで攻防一体となり間違いなく健やかに暮らすことができる。

いい人であってよい。