性欲はもっと正面から語られてよい。
恥ずかしい話ではない。
ちまたでは禁欲といったりオナ禁といったりNOFAPといったりして様々試されている。
一方では、医学的根拠がないとか有害ですらあるという見解もあり、最後は自分自身の決断したところに従っていくしかないといった状況だ。
やはり、己の世俗的な利養を得るということが目的になってくると、他人の経験より科学的な判断を基にしたくなってくるのではないだろうか。
異性にもてたいとか金持ちになりたいとかそんな願望が先行すると病気になりやすいと言われれば退散したくなるはずだ。
気持ちはわかる。
しかし、人生を死から逆算して、真に意味のあるものにしたいと願うようになるとお金のことや健康のことよりも大切なことがあることに気付く。
この一瞬一瞬に正しく強い祈りが込められる方法があるならば、その方法を受け入れたいと願うようになる。
性エネルギー昇華の実践とは、後者の話である。
利己心から来る恐怖を克服するための最後の一手だ。
この激動の時代、性エネルギー昇華の実践をしていかなければ、おそらく私利私欲に完全に溺れてしまうだろう。
金回りのよさに救われていた人から順番に孤立していくと思う。
性エネルギー昇華の実践だけをしていても、肉体から来る苦痛から逃られるわけではないし、愛別離苦や怨憎会苦から離れることができるわけではない。
そのためには仏の教えをしっかり身につけていく必要がある。
しかし、性エネルギー昇華の実践をしなければ、仏の教えをどれだけ学んでも、それを身に行じていくことは限りなく難しい時代になりつつあるのだ。
これからの時代は、完全に二つに分かれる。
わが身可愛さに略奪を肯定する人たちと、そうではない人たちだ。
恐怖に恐れおののかないためには、準備が必要だ。
それが性エネルギー昇華の実践になる。
他者を傷つけた人間は大変な因縁を背負い苦しむことになる。
神々は容赦ないだろう。
我々はその道に絶対に進んではいけないのである。
常に戒定慧だ。余裕はないと思う。
性エネルギー昇華の実践共同演習12日目無事達成。