これはそれぞれの教えの説き方に基づき、自性輪、正法輪、教令輪と言われることがある。
如来様は、教えのそのものを説かれる。自性輪。
菩薩様は、母の様に教えを優しく説かれる。正法輪。
明王様は、父の様に教えを厳しく説かれる。教令輪。
輪というのは、古代インドの武器のことである。
仏法の威力を象徴したものといえる。
日常生活において様々な事象がある。
その事象を修行として認識する時に、この3つを意識すると思惟が深まる。
人様の優しい言葉、辛辣な言葉、いろいろある。
それを御仏の言葉として受け取っていくのだが、菩薩様や明王様対する祈りが普段からあると消化(昇華)しやすい。
また、他に仏の教えを語る際に相手の状態に応じて神仏の加護を願う時にもこの3つは意識するとよい。
もちろん、昨日の記事に書いた通り、護法善神様に対する感謝が基礎である。
おそらく仏徒を現実に直接守護してくださっているのは、護法善神様とその眷属である。
深く正しい祈りは護法善神様に間違いなく伝わるし、誘導もしてくださる。
護法善神様は汚れを嫌われるけれども、やはり優しく温かい。
祈りを深くよく沈めてくださるのも護法善神様だ。
布施行はとても大切であると前にも書いたが、経験上、護法善神様に対する感謝とほとんど重なっているように思う。
ひとつの教えの一節を現実にどう包摂していくは自分自身である。
性エネルギー昇華の実践も心口意を正すうえでのその小さな工夫の一環である。
しかし、もしそれが一時的にうまくいかなかったとしても、正しい信心信仰があるならば、常にここまでのご加護があるということは覚えておいてよい。
これは涙が出そうになるほどうれしいことである。
感謝が深まるほどに、善なる個性を輝かすためにチャレンジしてよいということだ。
わが師が言ったように、確かに先は明るくみてよい。