最後の祈り

我ら一同、未来永劫、逆賊の誹りを受けることになるが、それでもよいか

論理の前提まで失う時代

いかに今というところに集中して生きていくか。

生の充実。

関心はもうそこにしかない。

我々はなぜこの時代を選んで生まれてきたのだろうか。

問いはそこからはじまり、今に収斂していく。

 

あまりにも頼りないものばかりである。

政治にしかり、である。

結局、己の霊体を基礎にするしかない。

そして間違いのないと確信できるわずかな法との往復で鍛えていくしかない。

 

時代は間違いなく暗い方向に向かいつつある。

その先が明るかろうかどうかはおそらく我々には関係ないことになるだろう。

肉体はそのときには滅びている。

 

アメリカの大統領選挙はターニングポイントになる。

このブログではトランプがましというスタンスであったが、正直なところ、日本にエネルギー革命でも起きない限り、トランプが勝利したところで活路はもうない。

ウクライナが負ければ、アメリカが崩壊する。

その過程で日本も巻き込まれ軸を失い疲弊していくだろう。

英米ヨーロッパの時代が終わることは戦後の日本の学問の基礎の多くが失われるということでもある。

資本主義、そして自由民主主義の終わりということだ。

 

さあ、漆黒からはじめよう。

私はそう思い描いている。

周囲がどれだけネガティブであろうが、私には関係ない。

そう言い切れるだけの霊体を磨いていく。

ここから先は真の強者の独壇場となるだろう。

弱音、愚痴、飢渇、等々、諸々の感情に捉えられて食い散らかされる者とそうでない者とに分かたれていく。

肉体と精神を鍛錬し霊体に生命力を注ぎ込んでいくのだ。

 

そして、ならば何が善いのか。

その論証を血をもってしていかねばいけない。

それでもやはり自由民主主義を失いたくないならば、もはや命をかけねばいけないだろう。

叫ぶだけではもう遅い。

批判するだけではもう遅い。